体験談 河野通有
- 2017.07.04
- 断酒
三十代から糖尿病の治療を受けているS病院の神経内科に妻が私の日常生活の異常について相談したことから話は始まります。
担当のM医師の紹介で依存症専門大石クリニックの副院長の診察を初めて受けたのが震災の年の六月二十九日と記憶しています。生まれてから現在までの長い聞き取り問診の後、毎日通院することが決まり、即その場でノックビンと点滴を受け、妻に支えられながら帰宅したようですがよく想い出せません。
しかしいきなり依存症と診断されても十八・九の頃から毎日水を飲む、あるいは息をするのと同様に組み込まれているルーティンなのでどうなるのか訳がわからなかったというのが本音でした。それでも通院を約束した以上は今迄通りのアルコール三昧という訳にもいかず節酒なる詭弁を弄して治療を受け始めることになりました。そんな通院生活を続けて、良くなったり悪くなったりを何度か繰り返し丸三年が経過した一昨年の七月にとうとう痺れを切らした副院長からの勧めであのK医療センターに入院することになりました。これで私も一端のアルコール依存症患者として箔がついたぞ!また一方では落ちるところまで落ちた?訳ですから断酒も真剣に考えなおすよい機会にもなったわけです。
さて、三ヶ月間の自由時間を利用して何かをしてやろうとも考え、減量しながら筋肉を鍛える体質改善にも挑戦してみました。結局退棟までに六六・五kgあった体重を五八kgまで絞り込むことができました。朝六時の開放からラジオ体操までの海岸の高速歩行、自転車のタイヤチューブの素引き、気の向いた時には緑の自然の中で腕立て伏せや腹筋を楽しませてもらいました。おかげで朝食のおいしいこと。治療もドクターやナース、他の方々からも親切にしていただけましたし講義等で依存症について丁寧に説明を受けることもできました。もっとも理解できて身についたかどうかはまた別の問題ですが。いろいろな意味でK医療センターでの一夏はとても有意義な想い出になりました。また一方では入院中に腸閉塞でほかの病院に引越し入院をしたりY医師にごく初期段階の下咽頭ガンを発見していただけたりと盛り沢山の経験をしながら十月七日に後ろ髪を引かれながら避暑地の別荘を後にすることができました。
その後のガンセンターへの手術入院を含めると平成二十七年の下期は入院の梯子三昧で暮れることになりました。お陰様で現在も元気に依存症との戦いを続けさせていただいています。後日談ですが手術前の説明の時に消化器外科部長の「えっ、これが本当にガンか?」と発した一言を私は聞きのがしませんでした。Y先生本当にありがとうございました。H医師の執刀で無事に成功し十一月二十七日に退院となりました。
ほぼ半年ぶりに大石クリニックへの通院治療に専念する生活に戻れました。しかし体調が良くなると忘れてしまうのですよね。「自分が依存症であることを」。家族で生活していますから普通の生活をしている時は断酒を続けられるのですが、四十年以上も続けてきた筋金入りの習慣なので何かあっても根が残っていることは当然と言えば当然な訳です。懲りずに年明けの二日めからスリップを計画、確信犯として奈良・京都へ飲みに逃げ出しました。願わくば節酒継続ができたらと思いながら。結局は思ったとおり量をセーブしていたつもりでしたが三ヶ月後にはりっぱなリラプスに嵌ってました。気分も今迄以上に酷く落ち込み、半ば自暴自棄になっていました。
そんな状態になって再び妻に伴われて大石に泣きつきに行くことになってしまい、終いに院長に主治医をお願いすることになりました。自業自得とはいえ厳しく叱られることを覚悟していたのですが、院長はやさしく「まだ若いのだから回復して社会貢献できるようになれるぞ」と励ましてくれました。それを聞いて、この私が「社会貢献」などできる訳がないだろう。しかし重度の依存症の俺が社会貢献できるようになれたとしたら人生変わるだろうなとそのひとことが魔法のように私の考えを変えることになったのです。
それ以降私は自分でも驚くほどに心を入れ変えて断酒に取り組むことにしました。
九月からは正式にF酒酒新生会に入会して先輩の方々の経験談をお手本にして断酒を続けています。お蔭様で断酒は十か月になろうとしています。未来のことを考えると果てしないことになりそうですが、日々の断酒を確実に続けていく所存でいます。近いうちに本当に社会貢献できるようになりたいと思っていますので皆様の応援をよろしくお願い致します。
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