『私の酒害と今』 大石CL外来通院 : K

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この投稿文は、横浜断酒新生会結成40周年記念機関誌=≪「かたらい」No44≫より同会及び筆者の同意を得て転載するものです。
『私の酒害と今』: 横浜断酒新生会○○支部 K
「もうだめだ」「限界だ」「だれか助けて」と思い精神科の門を叩きました。「アルコール依存症です。 入院した方が良いです」と言われました。私はその時「助かった」と思ったのです。会社に行かなくて済む。病気も入院すれば治るだろうと・・・。禁断症状が出るので保護室に入れられました。幻視と幻聴が出ましたが、二日間入って、その後一般病棟に移されました。六人部屋で自分の父親と同じような人ばかりで嫌な感じがしました。他の部屋を覗くとけっこう若い人がいるのに何故だろう? 何もかもが解らない事だらけで頭も朦朧(もうろう)としていました。「ここは精神病院ですよ」と言われ、ビックリしました。私はアルコール依存症の治療の為に入院したのになんで精神病扱いなのか? しばらくして回りが段々理解できました。アルコール依存症が精神病である事。あの若い人達は分裂病である事を。そして何よりももう酒を飲めないという事を。私は悩みました。自
分に酒を断つ事が果たしてできるのだろうか?と。結局その病院には二回入院しましたが、酒を断つ事はできませんでした。
酒を断つどころか、私の飲み方は段々ひどくなって行きました。私は絶望しました。酒は止まらないし、入院してもダメだし、仕事はできないし、お金も無いし・・・死のうと思いました。二ヶ月分ぐらいの睡眠薬を一気に飲みました。でも死ねませんでした。その後の私は全くもって人間とは思えないほど完全に精神が分裂してしまいました。生きる事も、死ぬ事もできず廃人になってしまいました。
十一年前に今のクリニックにたどり着きました。何が何だか分からないまま、昼間はクリニックで過ごし、夜は断酒会へと・・・私はここでの生活で実に沢山の事を学びました。何よりも、私の様な人間が他にもいて、そういう人達が酒を断っているという事。そして人間らしい生活ができているという事に希望が持てました。
あれから長い年月が経ちましたが、酒を断った頃の苦しかった事や、体験談に涙した事など今でも鮮明に覚えています。そして、断酒会に入会して良かったと思っています。色んな人達との出会いがあり、ふれあいがあり、体験談を聴く事により、私は生きる上で掛け替えのない物(事)を得たように感じます。酒無しでは生きて行けない私が、今、酒を断ち新しい人生を 一歩ずつ歩んで行けるようになった事に感謝しています。そして、これからは恩返しして行かなければと考えています。今酒で悩んでいる人の手助けになれるよう、会の仕事を通じて、まだまだ未熟な私は日々精進しなければならないと思っています。
今後ともよろしくお願いします。