依存と回復 大石CL/デイオーエム通院 山内徳市

NO IMAGE

 100年に1度の不況と言われている今日この頃です。企業でのリストラや解雇、倒産が珍しくないといった厳しい現状です。それでも、それぞれの皆さん生きて行かねばなりません。生きる為には、生活を続ける為にはお金というものが前提になるかと思いますが、その為に仕事を見つけようとしても不況というものが災いして中々職に就けないというのが現状です。妻もいれば、子供もいて職探しが思案のしどころとなります。
 それでも思い通りに行かないと人間一瞬の快楽を求めてお酒やギャンブル、薬物、女・・・等々に走りがちになります。初めの内はコントロール出来ていても、それが長く続くうちには個人差はありますが知らず知らずの内に調整、つまりコントロールが全く利かない状態の日々となってしまいます。依存症は完治しないとまで言われていますが回復は出来ます。個人差はありますが、障害の大体80%位は回復し、健常者に近くなります。
 
 私事ですが ; 私現在67歳ですが、50歳の時に 「横浜市営地下鉄・阪東橋駅の3A出口から歩0分の所に大石クリニックと言う病院が有る」と聞き、訪ねて行き診察を受け、「アルコール依存症です」との診断を受けました。約40分の問診の後、院長先生が 「山内に抗酒剤を飲ませてやってくれ」と看護師さんに言いました。後で知ったのですが、シアナマイド(水薬)とノックビン(粉薬)と言う2種類の薬でした。「この薬を飲んだらお酒は絶対に飲んだらダメ」と言われました。院長先生から、「兎に角、3ヶ月間は毎日通院して来い」と言われて1日も休まずに通院しましたが、この病気について何も知らない私でした。3ヶ月経ったら治るものと思い、その先はお酒を上手に飲めるようになると思っていました。大石クリニックに通院して17年になりますが、10年前に3度スリップ(再飲酒)しています。でも今は酒を飲まない平穏な日々を続けています。
 そんな自分をもう一度振り返ってみると、37年前(30歳の時)恥ずかしながら酩酊運転で対向車と衝突して右腕を切断しました。そして自棄(やけ)酒に走り、親、兄弟から勘当されました。不自由な身体で辛く、寂しく、17年前までは死にたいと思った時も何度もありました。しかし大石クリニックに通院するようになってからは少しずつ楽しい日々、人生を送れるようになりました。そんな17年の間に色々な方々をこの目にして来ました。他界して逝く方々も何人も目にしましたが、その一方で回復して職に就き楽しい人生を送っておられる方も沢山おられます。私が一番素晴らしいなと思うのは、飲まない同士が結婚して楽しい人生を送っている事です。そんなカップルを何組も目にしています。お酒を飲まず、賭け事をやらなければ楽しい日々、幸せな人生を送れます。
 
 私の好きな言葉、それは、「鉄は赤い内に打て」です。依存症の辛さを忘れない内に治療、断酒のレールに乗り、
そして辛さを忘れない事が肝要かと思います。
そして、もう一つ、依存症者の子供達の言葉も忘れたくありません。
   「飲まないお父さん(お母さん)、大好き」
   「飲むお父さん(お母さん)、大嫌い」
 という言葉です。どうか、こんな子供さんの言葉、思いを汲んでやって下さい。
 大石クリニックでは色々な病名の色々な患者さんに対応しています。老人デイケアも行っています。回復に応じてその人にあった仕事も紹介しています。院長、副院長先生をはじめとしたスタッフ一同、一丸・一体となって患者さんの治療・回復に全力投球で取り組んでおります。「百聞は一見に如かず」と申します。どうか、騙されたと思ってでも一度お寄り頂ければ、私も一患者として大変嬉しく思います。