「たまには良い事あり ? 」  デイ大石 : 塩谷一夫

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 11月の連休を利用し、4時間近くかかって横浜から群馬県桐生市に帰省し、叔母の家で母に会いました。私は68歳。
母の住む私の実家は叔母の家の直ぐ隣で、今は三男夫婦が当主となっています。母とは6年振りの再会です。長男である私は三男夫婦とはうまく行っていないのでこういう結果となりました。
当日泊る桐生市の旅館で一服し、外が暗くなるのを待って叔母の家へ行きました。この叔母は父の妹で私がまだ幼い頃から私を可愛がってくれていました。叔母は私の顔を見るなり 「お々ー、一夫かえ、どうしたえ、生きていたかえ、お前、母ちゃんが随分心配していたぞ。一夫、お前一杯飲むかあ? ビールならあるぞ」と、散らばっている物を急いで片付け乍ら言いました。それで、母はまだ生きていたと知り、良かったと思いました。
「ねえちゃん、俺酒やめているんだよ。酒やめてからもう5年経つよ」
叔母は、「へえー、なに ? , 一夫、おまえ酒やめたん? 5年も飲んでないってかー。へえー、へえー」と吃驚していました。
「よし、それじゃあな、今かあちゃんを呼んで来てやっからな」と言って直ぐに母を迎えに外へ出て行きました。
間もなく、隣の嫁に渡されたという懐中電灯で足許を照らしながら、もう片方の手で母を支えた叔母が戻って来ました。そして叔母に片腕を支えられたステッキ姿の母が玄関に現れました。母は私が想像していたより顔色も良く、シワも少なく、元気そうでした。
叔母の用意した椅子に腰掛けて私を直視した母の顔がたちまち大きくくずれ、眼に涙を一杯に浮かべ、「生きていたかえー、私も93歳になったよ」と小さな声で言いました。
畳に正座し、深くお辞儀をした私は、「随分、ご無沙汰しました。済みません」と言うのがやっとでした。カーッと全身が熱くなり、涙が畳の同じ場所に何滴も落ち、そして私の顔もやはりクシャクシャになっていたことでしょう。
あの母がこんなにも私の事を心配してくれたのは初めてのような気がしました。
その晩は宿に泊まり、翌朝、花と線香を買って叔母の家へ行くと間もなく母と三男がやって来ました。三男に私が飲んでいた頃の言動を詫び、また嫁さんにも宜しく取り成してくれるようお願いしました。私が母の腕をとり隣家の庭まで送って行くと母は、「御免よ、寄せてやれなくてー。だけど今度お前が来た時には寄って貰うようになるだろうからー」と済まなそうに言いました。
それから私は歩いて2~3分の所にある先祖の墓参を独りですましたのですが、墓誌には実家の当主の倅の名が新しく、当正月29歳没と刻まれていました。弟もつらく哀しい思いをしているのだなと思いました。
母と叔母に小遣いを奮発した私は、二泊の予定で帰省したのが一泊旅行になってしまいましたが、お互いに大いに実のある旅となりました。帰りの電車の中で、二日目の朝に叔母が言った言葉を思い浮かべていました。
「一夫、昨夜お前がもし酒を飲んで来たのなら、私は母ちゃんを迎えになんか行ってやらなかったよ」
-終わり-

(絵・文/塩谷一夫)