「母の日の電話」 : 絵・文 / デイ大石 塩谷一夫(69歳・断酒歴6年)

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当ブログ 07/12/18付
 「たまには良い事あり?」 参照
  日曜日の午後、部屋の電話が鳴った。「塩谷一夫さんのお宅ですか?」ー「はい」ー「私、○○子です。お久しぶ りです。お元気ですか?」-「あっ、これはどうもー。永らくご無沙汰して済みません」ー「お兄さん、今度こちらにいらしたらウチにも寄って下さいよ」ー相手は女性の声なので最初私はてっきり実家を継いでいる三男の嫁さんだと思ったのだが、それは違うという事に話の途中で気がついた。
 5月11日の「母の日」に因んで、その2日前に馴染みの花屋から群馬県の母宛にブルーの紫陽花(あじさい)を宅配便で送っていたのだ。それ故、耳が殆ど聴こえなくなった94歳の母が自分では私に電話をかけられないので三男の嫁に託してお礼の言葉を私に伝えているものと思っていたが違っていた。電話の相手の声、口調、内容等から、それは三男ではなく次男の嫁さんの声と解ったので、私は一瞬何かトンチンカンな受け答えをして仕舞わなかったかとハッとしたのだが、それは大丈夫だった様である。
 受話器から流れてきた次男の嫁さんの話は、「お母さんから電話があって、一夫から母の日のお祝いにお花を贈って貰ったので、そのお礼を伝えて呉れと頼まれたんです。・・・・お母さん、私と電話で話をしていても私が言っている事がよく解らないらしいんですよ。耳が遠くなっちゃったから・・  ・」との由。 私は次男の嫁さんや次男の近況を知り、母の無事を喜び受話器を置いた。
画像 次男の嫁さんとは思いがけなく10年ぶりで話をしたが、この嫁さん(一家)は母と同じ市内に住んでいて、母の大のお気に入りでよく出来た嫁さんである。昔から働き者で頭も良く、如才がない。しかも太っ腹である。私とは話がよく合っていた。(合わせて貰えた?) 耳が不自由になった母が、何十年となく心が通い合ったその嫁さんに私の電話番号を教えて花のお礼を伝えて欲しいと頼んだようだ。私に直接電話をしても耳が不自由で上手く対話が出来ずにきまり悪い思いをするだろうと思ったのであろう。それだけに、耳が聞こえない94歳の母の一方通行の電話内容をよく理解できた嫁さんも真に天晴れなものである。
 私への電話の後、嫁さんは恐らく直ぐに仕事を中断して母の許に跳んで行き通話内容の一部始終を身繰り手振りを交えて話したことだろう。聞こえ難いところは口を大きく開いたり閉じたり、あるいは紙に字を書いたりしながら母が理解できるように伝えて呉れたに違いない。明るく大きな声でーーー。それを理解した母がその時、笑ったか?泣いたか?・・・愚鈍な倅には解らない。だが色んな意味において喜んだのだけは確かである。
 母子の心が通い合った。去年の秋に6年ぶりに母と再会して以来の事である。「嫁さん、ご苦労様でした。有り難う御座いました。そして又、今後とも娘を持った事の無い母の良き話し相手になってやって下さい」と、私は心の内でそう呟いた。こういう律儀で心優しい人達に大切に守られているからこそ母も長生き出来るのである。
 それに引き換え、今の私はアルコール依存症の治療に専念し・・・・・余り書きたくない。つまり不甲斐ないのである。だが、そんな私にとっても母は何ににも代え難い、掛け替えのない大切な人である。私の生き甲斐に於いて計り知れない程の大きな位置を占めている。
 どうか、今の様に元気で長生きしてくれるよう、神に祈るばかりである。
                                      おふくろ万歳 !!