収監者との文通:Aさんとの往復書簡 H27/5/2

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<A⇒鈴木>
前略

鈴木さん、お手紙届きました。いつもありがとうございます。ここ○○も・・・略・・・
 さて、前回は「今日一日を大切に」という意味の禅語を幾つか紹介しました。今日は不安を取り除く禅語を紹介したいと思います。先ず、「本来無一物」から。これは「人は生まれた時は何も持っていなかった。これを忘れなければ心配無く前に進める」 次は「放下着」、これは「何でも捨ててしまえ」という意味だそうです。悩みを捨てろという意味です。「快哉」、これは考え過ぎないという意味です。「平歩青霄」(へいほせいしょう)、これは「焦らない」という意味です。 そして、前回も書いた「知足」です。これは字の如く「足りている事を知る」という意味です。私が持っている本ではこれらが載っていました。
今の私は、バカラの心配はないので窃盗をしてしまう第一の理由は、お金が足りるのか?という不安です。そして次は、あれも、これも欲しいという欲求です。この欲求は刑務所を出所する人は大抵の人が持つものと思います。出所すると基本何も無いので部屋を借りたり、家電製品や生活用品を揃えたりで生活が大変です。ですが、無くても困らない物もあります。そういう物が欲しい、欲しいという欲求を抑える為に禅語が役に立つと思うのです。正に「知足」の精神です。
 最初に戻り、お金が足りるのか?という不安ですが、これも実際に生活をしてみたら足りているのです。なのに不安が大きくなり、窃盗をしてしまったのです。そして一度やってしまうと2度、3度とくりかえしてしまったのです。この不安を何とか無くしたいという想いから禅の本を買ったのですが、色々な禅語があり、役に立つ言葉ばかりで良い本に巡り会えました。不安、焦りに打ち勝ち刑務所に戻って来ない生活をして行きます。

 バカラに嵌っていた時は、持っているお金を全部バカラに使ってしまい、生活をするお金も無く、そしてバカラをやりたいが為に窃盗をしていました。あの当時は本当に考え方も普通ではありませんでした。バカラをやっていて負け始めて来ると「また盗みに行けばいいや」と考え始めたり、仕事は殆どしていなかったので昼間は外をブラブラして、夜中に盗みが出来そうな場所を探したりと本当に異常でした。
 そして、盗みが出来そうな店、事務所を見つけると、お金が無くなった時に盗みに行くのです。基本的にお金を持っている時は盗みはしません。恐らくですが無意識の内に危険は冒したくないと思っているのでしょう。お金が無くなると危険とかそういう意識も無くなってしまいます。
 そして、今回捕まった理由も危険とか犯罪だとかそういう意識が無くなり、不安が大きくなり盗みを始めてしまいました。逮捕された時は、何処かに盗みが出来そうな場所が無いかと夜中にウロウロしていて職質されてバッグの中にバールが入っていて、それでそのまま逮捕となりました。その後窃盗で再逮捕され今に至ります。逮捕されたのが2012年5月なので、もう3年になります。そして残りの刑も1年と少しになりました。逮捕されてから3年、過ぎてみるとアッと言う間でした。一日一日は長く感じるのに・・・本当に時が経つ時間は不思議なものです。残りの刑期も簿記1級と仏教で精神を強くする勉強を続けて行きます。
 バカラはしない自信(根拠がない自信)はあるので、お金が足りないという不安、焦りを克服して行きます。これから「暖かい」から「暑い」時期になります。暑さに負けぬ様今から体を大切にして下さい。また手紙を書きます。では失礼します。
草々 

平成27年4月26日(日) A

追伸
 卓球大会ですが、準優勝でした。私は出ていないのですが(笑)いつの間にか選手が決まっていました。今はソフトボール大会に向け練習中です。でも希望者が多いので今年はどうしようか悩んでいます。ちょっと筋トレとジョギングで体を鍛えたいですよね。冬の間、体育館でずっと筋トレを続けていたので休む事なく続けて行きたいという想いもあります。でも昨年は優勝しているのでV2を目指したい思いもあります。とりあえず一日おきに交互で実施して行こうと思います、

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<鈴木⇒A>
A様
前略
 気温が高めで初夏のようなGWを迎えていますが如何お過ごしでしょうか?私からの4/30付の手紙がもう届いていると思いますが、再犯の無い新たな人生に向け、心身を鍛えつつ簿記1級・公認会計士を目指すAさんの前向きの努力と我が母校の「前へ」の校訓がピタリと重なりあっての手紙とご理解頂ければと思います。

 さて、4/28提出のお手紙、5/2に届きました。いつも本当に有り難うございます。連休に入る直前で滑り込みセーフといったタイミングでした。
 今回も沢山の禅語の解説を有り難うございます。「本来無一物」とは無力なるが故の安心感を述べている言葉なのでしょうか?依存症治療も無力の自覚から始まるのですが、それとも共通する考え方なのかなと思ったりしています。
「放下着」で全てを捨ててしまえば、なるほど「無一物」になれて気持ちも楽になるのだろうなと思いました。
 「知足」はAさんにとって最も大事な禅語ですね。これが出来れば、給料日までの財布の不安が無くなり窃盗に走らなくなるでしょうね。ただ、一度窃盗を働いてしまうと続いてしまうという所にもしかしたら「盗癖」(窃盗依存症)の要素も、あるのかな?とも思います。この病気があると、窃盗そのものが自己目的化してしまい、お金を持っていても、また必要がなくても盗むという様に、窃盗自体に衝動を感じて窃盗をやってしまいます。こうなると「知足」をどんなに深く認識していても、それとは別次元の所にある病気によって窃盗に走る様になってしまい、せっかくの禅語の勉強も水泡に帰してしまいますので、出所後に念の為にも専門医の診察を受けられるようお勧めします。
 
お手紙では今回の逮捕時の様子を書かれていますが、夜中に店舗やオフィスなどの窃盗に入れそうな場所を物色して歩いているところを警察官に呼び止められ職務質問を受けたわけですね。そしたらバッグの中にバールを見つけられ、「この夜中に何の為にこんな物を持ち歩いているんだ?」というわけで署に同行を求められ、そこで前科照会、余罪の追及というプロセスを経て逮捕に至ったのだと思いますが、その時の心境はどんなものだったのでしょうか?辛い思い出だとは思いますが、「良薬口に苦し」で、一番辛かった体験を必要な時にいつでも思い起こせる事が再犯防止の為に不可欠な事と言われています。
 昔から「のど元過ぎれば熱さ忘れる」と言われていますが、それはある意味では人間にとって必要な機能なのだと思います。そうでなければ、例えば親を亡くして一晩泣き明かした場合、その想いで一生を泣いて過ごさなければならなくなります。10年後の結婚式の場でも亡くなった親を忘れられずに悲し涙に暮れていなければならなくなります。そうならないように神様は人間に忘れる能力を与えているのでしょうね。だからこそ、忘れてはならない事を忘れない為にはその為の努力とその継続が必要になるわけです。それで各種の依存症者達は自助グループでそれぞれの依存体験を語り続けているわけです。

 そうですか! 今回の受刑生活ももう3年になりますか?過ぎてみれば本当に早いものですね。確かに手紙に書かれているように一日一日は長く感じますが、年単位の時間と言うのは過ぎてみればアッと言う間の時間のように感じます。人々は皆異口同音に同じような事を言いますから、恐らく万人に共通の時間感覚なのでしょうね。過ぎてしまえば短い時間ですので、それだけに一日一日を大切に、そして有効に使いたいものですね。

 この手紙が届くのは多分連休明けとなり、その後はだんだん蒸し暑い季節に向かうことと思います。筋トレやジョギングで身体を鍛え、禅語や簿記1級の勉強で心と頭を鍛え、季節の変動に負けない身体と心と頭づくりを続けてください。それでは今日はこれにて失礼します。

草々

平成27年5月3日 
大石クリニック相談員鈴木達也