収監者との文通 Bさんからの手紙

NO IMAGE

収監者との文通

Bさんからの手紙
大石クリニックHPトップページ
及び 当掲示板No.555~Bさんとの文通 参照 
<↑「記事検索」にてBさんとの文通を続けて読めます>

鈴木達也様
 だいぶ過ごしやすい日が続いていますが、お体は大丈夫ですか。私は元気にしています。
 さて、私の今の工場には性犯のプログラムがあるという話ですが、私はまだ受けていないので詳しい事は分からないのですが、約半年間かけて同じ性犯の人が10人ぐらいのグループで、自分の生い立ちや性格、自分が起こしてしまった事件の事を発表したり、その感想を話し合ったりして、再犯を起こさない為にどうするかなどの話し合いをしていると聞いています。自分も少し先にプログラムを受けると思いますので、今からもう一度、自分の生活などを見直そうと思います。

 これから花粉もヒドくなって来ると思いますが、お体に気をつけて下さい。
    
           平成25年3月10日  B

Date: 2013/03/16/20:02:55 No.878

Re:収監者との文通

Bさんへの返書
B様
 ご無沙汰しています。お手紙15日に届きました。毎日お元気でお過ごしのようで、何よりのことと安心し、また嬉しく思います。
 
  ところで、そちらの刑務所では再犯防止プログラムや、職業訓練なども積極的に行われているようですね。出所後の社会復帰に向けて色々な資格の取得を目指して勉強をしている方も多いのではないでしょうかか?出所後に大学を目指している受刑者も多いと耳にしています。人間は環境によってつくられるとも言われていますので、Bさんも、今のそういう生活環境の中で将来への夢と希望を大きくもって、常に、今日という日を一歩一歩と踏みしめて、着実に歩み続けて頂ければ良いなと思います。
 
今日は、依存症治療と治療環境についての私の体験を少し書いてみたいと思います。以前にも書いたと思いますが、私がアルコール依存症になって、生きる為に必要な物の全てを失って治療に繋がったのは49歳の夏でした。つまり、無一文のアル中失業者として実家の世話になりながらアルコールデイケアに通院し始めたのが、50の年齢を目前にしていた頃の私の姿であり実像でした。当時の私の生活は?と言えば、とにかく無一文でしたから実家に寝泊まりし、母に買ってもらった定期券で通院経路を往復し、毎晩のアルコール自助グループ・AAには徒歩で通うという毎日でした。ですから、実家と病院とAA会場を結ぶ三角形の三辺から一歩も外れることが出来ず、欲しい物があっても何も買えず、食事は実家と病院食以外には食べたい物も食べられないといった日々の生活で、今のBさんと比べても、外を出歩く多少の自由がある以外はあまり大差がなかったように思います。そんな生活が1年半続いて、ようやく仕事に就くことが出来て、実家の母から経済的に自立できたわけで、今振り返ると、あの1年半は家と病院とAA会場を結ぶ3辺の塀で囲まれた巨大な刑務所の中で過ごした期間だったような気さえしています。でも断酒と社会復帰に向けての生活環境は抜群に最高だったと思います。病院には、断酒を支援してくれる医師や看護師さん、ワーカーさん、それに同じ病気で同じ気持ちを分かちあえる患者仲間が居て、AAグループには、この病気の何たるかを長期の体験で教えてくれる断酒仲間が居ました。そして家に帰れば私を病院に引っ張って行った断酒のお目付け役である母が居ました。ですから、これでは断酒出来ない方が不思議と言って良いほどの環境の中で過ごした1年半でした。治療に到るまでの約5年間にわたって毎日毎日、一日も休むことなく一升の酒を飲み続けた私の飲酒を止めたのは、正にこの1年半の生活環境、事実上の刑務所生活だったと言っても良いほどの生活環境の力だったと思います。

 以上が、私が断酒を始めた頃の治療環境だったのですが、Bさんも今の生活環境を大事にして、何よりも性犯プログラムで体験を語りあえるであろう仲間との心の絆を大事にして、更生と社会復帰への道を歩み続けて欲しいと思います。

 今、この手紙を書いている内に後のテレビから「今日(3/16・夕)、東京で桜が開花しました」とのニュースの声が流れて来ました。去年より半月も早い桜の開花で、チョッピリながら心楽しくなる感もしますが、季節の変わり目に加えて、今年は花粉の量も多いと言われていますので、お身体にはくれぐれも油断なくお過ごし下さい。またのお便りを楽しみにして、今日はこの辺で失礼します。
                                 平成25年3月17日
          大石クリニック 相談員 鈴木達也

Date: 2013/03/16/20:24:37 No.879