「断酒会との出合い」 大石CL外来OB 神谷 勲

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<この寄稿文は、横浜断酒新生会機関誌「かたらい」創刊50号記念号より、同会および筆者の同意を得て転載しました。>
「断酒会との出会い」
横浜断酒新生会南支部 神谷 勲
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 眠りが覚めた。頭が痛い。喉がかわいた。水が飲みたい。ここはどこだ? 廻りを見わたす。誰もいない。天井の隅の窓からかすかな明かりがさしている。白衣の女性が入って来た。説明を聞く。日野病院という一般の精神病院の保護室で、今日で四十八時間ずっと眠っていたようです。何故こんな所に? 三十五歳の秋の事です。
 一週間後、妻が来院し、我が家の小学一年生の男の子の手紙と「かたらい」を三冊持って来ました。日野病院婦長の計らいで断酒会の例会に出席したとの事でした。子供の手紙を読みました。習い覚えたたどたどしい文字で
 「お父さん、今度こそ治して帰ってきて。その間、僕がお母さんと妹を守っていきます」 
この手紙を読んだ時、幼い子供が何を思い、何を考え、どんな行動をしようとしたのか? 私自身はどうしたら良いのか? 反省と悔悟と家族への思いで涙が止まりません。そこで読み始めたのが妻が持って来た「かたらい」という体験談が載っている文集でした。その中に、中学一年生の男の子の体験談が載っていました。
 「いつも酔っ払って帰宅し、お母さんに暴力を振るい、酒を要求する毎日。僕は必死に母と妹を守った。夜が来るのが恐く、夜の無い日がないかと祈る毎日が続いたのです。 そのお父さんが久里浜病院に入院し、断酒会と出会い、退院後お母さんと一緒に例会に出席。僕と妹は留守番。ニコニコしながら帰って来る両親の笑顔を待つという夜
になりました」
 この体験談を読み、私の息子の手紙と重なり、涙がとめどもなく流れ、その時の事は今でも忘れられません。それから退院までの約一ヶ月、毎日寝る前に子供の手紙と「かたらい」を読む事が習慣となり、少しづつ人間らしい気持ちを取り戻し、婦長と妻の勧めもあり、断酒会に行こう、そして「かたらい」に載っていたその子のお父さんに会ってみたいと思いました。
 気持ちも落ち着き退院する事が出来、早速妻と一緒に断酒会に出掛けました。不安もありましたが期待の方が多かったと思います。大勢の人の体験談を聴く中で、その子のお父さんは直ぐに分かりました。例会が終わった後すぐにそのお父さんをつかまえ 「一昨日病院を退院し、今日初めて断酒会に出席した神谷と妻です。実は、入院中にあなたの息子さんが書かれた体験談を読み、あなたの話を聞きたくて来たのです」と話すと、大変喜んでくれました 「断酒会とは、体験談に始まり体験談に終わると言っても過言ではなく、皆
優しい人達の集まりですよ」と説明でした。
 その日から週平均二回ぐらい妻と一緒に例会に出席、時には子供と一緒に月一回の日野病院院内例会に出席するようになりました。十年ぐらい続いたと思います。二年後ぐらいだと思いますが、そのお父さんから、小さな家だけど建売住宅を買う事が出来た。ついては自分の家族と夕食を共にしたいので奥さんと一緒に来て欲しいという事で、喜んで伺いますと返事をし、数日後息子さんと妹さんに会う事が出来、手作りのお寿司をご馳走になりました。帰宅後、私達もあの人達のように小さな家と平和な家族を作って行きたいと話し合い、ほのぼのとした幸せを感じました。小さな家はその四年後に実現しました。
 それから三十数年経ち、七十才を過ぎ、今年も妻と二人で北海道のサホロスキー場で滑って来ました。スキーを始めて二十年。毎年四~五回いろいろなスキー場に行きます。雪に触れ、静かな景色に触れる中、色々な人達と出会います。昨年三月十一日、東北大震災の時、群馬県の嬬恋村スキー場にいました。スキー場は閉鎖、関越道通行禁止となり、スキー場で出会った千葉から来られた同じ七十才を越えたご夫婦と途中迄ですが一緒に帰ることにしました。一緒の方が何かと心強いという事で、お互いに心配している子供達に連絡を取り、無事に帰宅する事が出来ました。又一緒に滑ろうという事で今年三月一日に同じスキー場、同じホテルで会います。一緒に滑るのも楽しみですが、初めて出会ったご夫婦と、その時からの一年、これからの生き方等々つもる話が沢山あると想います。
 これからも断酒、健康に留意し妻、息子家族、娘家族と一緒にいつまでもスキーが出来たらと思います。今年サホロスキー場の同じホテルで、八十才・七七歳のご夫婦と五十才代の娘さん夫婦と出会い、面白い話を沢山聞きました。