収監者との文通(Oさんとの往復書簡)

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前略
3月31日付のお手紙3日に届きました。本当に有り難うございます。
工場での作業を終えて舎房に戻って来た時に外を見ていたら雨が降っていて、先生から頂いた手紙を思い出しました。「雨降って地かたまる」です。あわてて今回届いた手紙を読み返して今手紙を書き始めました。確かに今の私は雨の中を歩き続けていたのかも知れませんが、出所後晴れになる事を祈って、今までぬかるんでいた私の進む道もしっかりと固まってくれると思っています。その地面を固めるのも、グチャグチャのままにするのも今の私の心ひとつだと思っています。その為にもこの文通を続ける事を私の方からお願いしたいと思っています。私自身今まで書いて来た手紙を読み返してみたのですが、「本当に馬鹿な事をして来た」と思う一方、自分の書いた文章に付き合って頂いた先生に本当に感謝しています。自分の書いたものなのに本人が一番恥ずかしく思いました。
鈴木先生との文通を始めて早10ヶ月になりました。今回、鈴木先生から届きました手紙を全部読み返して思いましたが、「今までの文通を通して自分にウソをつかずに、ちゃんと本当の事を書いているのか?」と、そんな事を思いました。今までに書いた手紙ではウソはついていませんが、「全部書いている」と言えば多分ウソになります。

アルコール依存症の方でアルコールが切れた時の事なんですが、テレビでよく、酒が切れた時に酒ほしさに包丁をもって暴れるシーンを見ることがあります。私の父は酒が入っている時に「もっと飲ませろ」といった感じで暴れます。母がどれだけ涙したか分かりません。今もガンと闘いながらも酒と手を切ることが出来ずに毎夜飲んでいるようです。このように私の知っているアルコール依存症は酒が入っている時に暴れる人間しか知らないので、テレビのような包丁で(酒が切れている時)で暴れるのは分かりません。
私達のような性依存症は暴れて「見せろ」といったような行動はありませんが、人の目を盗んでは忍び込んでしまう本当に悪い病気です。酒は身内の方が被害者だと思いますが、私達のような性依存者は世の中の人達を被害者にしてしまいます。その分刑務所に来てしまうんですね。
今回手紙を全部読み返して自分でビックリしたのですが、刑務所に出入りしている回数を全部の手紙に書いてアピールしています。自分の馬鹿さを見てもらっているみたいです。前回出した手紙と違って、少し落ち着いて来たので自分の行動が手に取るように見えました。
それと、私自身の事なんですが、3月末に妻が身元引き受けを許諾してくれたようで私の方に知らせがありました。その所為もあって今月は気持ちも少し落ち着いているのだと思います。季節だって冬から春へ変わるのですから、私の病気だって冬のままで終わらせるわけには行きません。鈴木先生が書いて頂いた手紙の中にも、私の思いそのままに「転んでもただ起きない」と書かれていました。その通りだと思います。でも、私の場合少し転び過ぎですか?多分、皆さんは「3度目の正直」で気づいて立ち直るのでしょうが、私は少し時間が掛かってしまいました。でも鈴木先生に「手遅れではない」と言ってもらった事で私自身先に希望を持てて来ました
お手紙の中で「所内での教育」と有りますが、、以前お話したと思いますが、ここではやっていないのです。ここから別の刑務所に移送されて6~10ヶ月の教育を受け、又こちらに戻って来るそうです。もし行くとなれば今年の夏以降か、来年の今頃ですね。。

・・・・・テーマ:被害者側の親・・・・・
私には娘が一人います。今まで私は加害者側の人間だったので敢えて被害者側の気持ちを考えた事はありませんでした。自分の事で精一杯で他人の事まで考えられませんでした。でも今になって考えてみると、私には娘がいるのですが、もし娘が私の様な人間に被害を受けたら私ならどのようにしただろうか?と考えてみました。まず加害者本人が、自分が依存症だと分からずに犯行していて、そして私も性依存症という病気を知らなかったら、多分その犯人に対して色々とやったに違いないと思います。ここ数日そんな事を考えてみたのですが、今の私は、この病気を知ってしまった為、多分、相手に対してこの病気のことを知ってもらう努力をすると思います。 でも、娘の気持ち、妻の気持ちを考えると、やはり相手を責めることになるのですが、法的にできることは決まっています。実際に私が犯罪を起こしても、逮捕・拘留され裁判にかけられ、被害者側に対しては刑務所に入る事だけで罪を償っています。
確かに、私のような変質者が街中をうろうろして幼女や女性に危害を加えて歩いていたら、正直、親としてみたら心配で仕方ない事だと思います。私も依存症ではあるけれども、一人の親としてみたら心配になってしまいます。ましてや性依存症を知らない人から見れば、私達は変質者であり悪魔そのものなのだと思います。そんな人達を野放しにしていたら本当に一人歩きが出来なくなりますね。その為にも鈴木先生方が行われている活動は本当に凄い事だと思います。その活動のお陰で、私は今後どのようにすれば良いのか解ったように思っています。実際には大石クリニックに通うようになってから本当の答えが出るのだと思います。
今は、この人生の長雨でぬかるんだ地面に太陽の光を当て、自分の足で踏み固めてしっかり歩いて行きたいですが、まだ私はスタート地点にも立っていません。今はスタートラインに立つ為のトレーニングといったところです。私の被害に遭われた方の親の方がこの文章を見ていらしたら、何と思うでしょうか?「ちっとも反省していないし、自分の事しか考えていない」と思うでしょう。それが本当の答えだと思います。
実際に私の裁判の時に被害者側の親の一言が読まれたのですが、それは子供に対する思いから、「一日でも長く刑務所に入れておいて欲しい」でした。多分、私も依存症でなければ同じ事を言ったと思います。でも今の私は一日でも早く出ようと努力しています。もちろん被害者を探したりするのではなく、早くちゃんとした治療を受けて本当のスタートに立って、今度こそ人間として生きて行けるようになりたいです。出口はまだ先ですが、今の内にスタート台の足場をしっかりと踏み固めて、ヨーイ・ドン !! で転ばぬようにしたいと思っています。被害者の親の方々が読まれていたら勝手な事ばかり書いて申し訳ありませんが、私も一人の人間としてしっかり生きて行く為にも今を大事に、これからの事を考えさせて下さい。

今回の手紙に性犯罪教育プログラムの事を書きましたが、もしかすると少し早まるかも知れないと言われました。「いつ行ってもおかしくないから、準備しておけ」と言われました。5月に入ったら行くんだと思います。やっと慣れて、これからという時に又移送、落ち着いた頃にこちらに移送でしょうね。性犯罪者はイヤでも性犯罪教育プログラムを受けねばなりません。周りから変な目で見られながらの教育ですが、今後の為にも行かざるを得ないので行って来ます。

長々と書いてしまいましたが、今日はこれで終わります。大石クリニックスタッフの皆さん、春を楽しんで下さい。乱筆・乱文申し訳ありませんでした。

草々

鈴木先生様  平成26年4月14日書き終わり 17日出し   O

O様

そちらも春の日々を迎え暖かい日差しの毎日かと思いますが、その後いかがお過ごしでしょうか? 4月17日出しのお手紙、22日に届きました。新しい人生、新しい生き方に向けて真剣に模索されている文面に、私自身依存症者として身を引き締めさせられる思いで拝読しました。いつも本当に有り難うございます。

さて今日は、お手紙への返事に入る前に最近のある出来事についてお話ししたいと思います。即ち、治療法が有り克服が可能な依存症という病気の未治療や治療中断による合併症で命を縮めたり、犯罪の累犯でたった一度の人生を棒に振ってはならないとの思いを改めて深める機会・出来事がありましたので、先ずはその話から入りたいと思います。
私、4月19日(土)の大石での仕事を終えてから、新横浜より新幹線に乗り名古屋へと向かいました。どうして名古屋に行ったのかと言うと、名古屋に住む義弟(妹の夫)が17日の朝、病気で亡くなり、19日がお通夜で、20日が告別式だったからです。義弟は10年前に糖尿病が悪化して足に壊疽(えそ)が発症した為、両足のヒザから下を切断し、それ以来車椅子の生活を続けて来ました。それと同時に腎臓も糖尿で悪くしたために、血液の汚れを落とす為の透析(とうせき)を1週間に3回の通院で受けねばなりませんでした。体内の血液を一旦外に出して浄化してから体内に戻す透析をしないと生きられなくなってしまったわけです。毎日の食べ物や水分も厳しく制限されながらの車椅子生活、その車椅子での透析通院、そんな生活を10年続ける中で徐々に体力も低下していたのでしょう。この2月に肺炎を起こして入院し、一進一退を繰り返していたのですが、4月17日早朝にとうとう帰らぬ人となってしまいました。
義弟は酒は飲まず、もちろん依存症とは縁のない生涯でしたが、それでも遺伝性で生まれつきの体質による病魔=糖尿病には勝てずに他界してしまいました。アル中になるほど酒を飲んだ私よりも早くして、若くしての永久(とわ)の旅立ちでした。治療への意志や努力だけではどうにもならない先天性の病気の悪化によって他界してしまった義弟の無念さを想う時、治療と生活改善の努力で克服できる依存症という病気の合併症で命を縮めたり、犯罪で一生を台無しにしたくないなと強く思ったわけです。
恐らく、Oさんも同様のケースで祭壇に合掌する事があれば同じような思いがするのではないかと思い、この話をさせて頂きました。最初から湿っぽい話になってしまってごめんなさい。

ところで、今回のお手紙ですが、先ずは奥様が身元引受人を承諾して下さったそうで本当に良かったですね。今回の事件の内容を把握された上での承諾のようなので、Oさんの依存症治療と病気の克服を信じられた上での引受人承諾なのだと思います。この奥様の夫婦愛に応える意味でも自分の信じる道=依存症克服による再犯の無い道を歩み続けられるよう期待しています。その道は、雨でドロドロにぬかるんだ道から治療・学習の歩みで踏み固められた道へ、そして社会復帰への歩みによるアスファルト舗装の立派な道路へと繋がり行くことでしょう。

お手紙の中で、「病気に気づくまで時間がかかってしまった」と書かれていますが、それは、「3度目の正直」を通り越して5度目の刑務所に来てしまったという意味でしょうか?でも、世の中には「七転び八起き」という言葉もありますよ。だからと言ってあと2回刑務所に行っても良いとはもちろん言いませんが、要は、過去の5回の事件は病気とその治療への気づきを得る為に必要な授業料だったと考えられるのではないでしょうか?そう言ってしまうと、被害者に対して申し訳ないのは確かなのですが、性依存症という病気がまだまだ世の中によく知られていない現実の中で、患者本人も自分の病気に気づかないままに犯罪を重ねてしまう冷たい現実があるのも確かなのだと思います。そう考えると、<気づき⇒治療⇒克服⇒社会的啓蒙>の道を歩む事こそが被害者への償いになるのだと思います。

今回のテーマは「被害者側の親」でした。お手紙では、自分の娘が被害者になったら、そして自分が性依存症の事を知らなかったら、事件と犯人に対してどんな思いがするだろうか?と書かれています。そして、その答えとして、被害者の目には犯人は変質者であり、悪魔そのものとしか見えないだろうとされています。こういう相手の立場に立って考えるというのは非常に大事な事だと思います。以前にも書いたと思いますが、依存症治療の為の認知行動療法の中に、「被害者の立場に立って自分への手紙を書いてみよう」という課題が有ります。それによって自分が起こした事件・犯罪を客観的に見る事ができ、反省と課題への確固とした足場を築けるからです。

性犯罪防止教育プログラムを受ける為に半年~10ヶ月くらいの間他の刑務所に移送になるとの事。早ければ5月に入ったらとの事なので、5月の頭だとこの手紙が間に合うかどうか・・・? (間に合ったとして)とにかく、頑張って勉強して来て下さい。そして移送先からも教育の感想なども含めたお手紙を頂ければと、楽しみにお待ちしています。
横浜からの手紙で、「行ってらっしゃい」とか、「お帰りなさい」と言ってもあまりピンと来ない(笑い)のですが、それでも、やっぱり、「体に気をつけて、行ってらっしゃい」と言わせて頂きます。

5月のGW直前という時季で、暑くも無く寒くもなく、1年中で一番過ごし易い陽気となっていますが、お体には油断なくご自愛下さい。それでは今回はこれにて失礼します。

草々、平成26年4月26日大石クリニック相談員 鈴木達也