O(オー)さんからの手紙

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O(オー)さんからの手紙

大石クリニックHPトップページ参照

大石クリニック相談員 鈴木達也様

前略
 お盆の関係で8月9日付の手紙が私の手元に届いたのが連休明けの8月19日でした。本当に有り難うございます。
前回の手紙は書き出すのに本当に勇気が要りました。鈴木先生の手もとに届く為には何人かの職員の手で検閲されて、やっとの思いで発信されます。正直、出来る事なら思い出したくない出来事を書き鈴木先生の手元に届く迄に実名で読まれます。私自身が起こした事ですが、心のどこかで人間として「恥ずかしい」と思うところがあるのかも知れません。
 この手紙も書き出すのに時間がかかりました。私自身も往生際が悪く、依存症と分かっている半面で自分の力で何とか出来ると悪あがきをしている自分が居て、私自身で困っています。こんな羞恥心の塊でも残刑2年6ヶ月の間に「自分で何とか出来る」-そんな考え方を無くすようにしたいです。でも先生方のお力をお借りしても、自分自身が治ると信じて努力して行かないと無理だと思っています。その為にも何も出来ない今が大事だと思います。
 鈴木先生が今日まで取り組まれて来たアルコール依存症のプログラムを私の父にやってもらいたかったです。私の父は典型的なアルコール依存症です。酒の為に働いて、酒の為に暴れて、酒を買う為に借金をしてまわり、ギャンブルに依存して今は余命数ヶ月の人生になってしまいました。私の依存症は生命に異常ありませんが、この年で気付けた事に感謝しています。出来ることならもっと前に、あと20年前に気付きたかった。多分依存症で闘っておられる皆さんも同じ事を考えていらっしゃると思います。
 アルコール依存症や薬物依存症などは一般に知名度も高いのでテレビや本などで知る事も出来ますが、私のような「性依存症」は全くと言って良いほど知られていないと思います。その為に知るまでに時間がかかり、私のように年齢が行ってから気付く人も多いのではないでしょうか?これだけ情報が少ない中、依存症だと気づく人は本当に幸せだと思います。

=テーマ:治療の切っ掛け=
 
 今回のテーマですが、多分多くの人達が、性依存症を知らない世の中で何で止められないんだろうと思っていると思います。もちろん私も同じように思っていた一人でした。私は15歳から依存症の芽が出始めて、何も気にしないでストレスの発散場所くらいの考えで行動していました。18歳くらいになった時「こんな事ばかりしていても良くない」と、そんな考えを持ち始めました。実際に「こんな変態行動を辞めさせて下さい」などとメモに書き仏壇の前に置き、毎日祈った事もありました。もちろん、治る分けもなく、のぞきの行動が続きました。当時は盗撮物の本やビデオが沢山出ていました。その為か、悪い事だと思って辞めたいと思う半面で、世間では盗撮物が容認されているみたいに販売されており、本当によく分からない時期だったと思います。
 私は今回で4回目の刑務所生活で、全部同様の事件で、今回のみもう一つ罪名が付きました。その事件の事は次の時にでも書きます。私が初めて警察で取り調べられた時、「バカな事するな」と、そんな事を言われて引受人と一緒に帰った事がありました。その後も2回くらいは同じように帰りました。そして始めて逮捕拘留になった時、「家族の為にも、もうこんなバカな事をするな」と、このような事を言われました。2回目の逮捕拘留では「同じ事ばかりやって、何がおもしろい?」と言われて起訴されましたが、この時の裁判でも事件の話のみで進んでしまいました。執行猶予をもらってから3年後の時も「もう2度とするな」と言われて刑務所へ。出所後1年もしない内に逮捕、刑務所へ。3度目も、4度目も、同じ「もう辞めなさい」とそのくらいしか言われませんでした。後の方になって来ると「オマエは癖(へき)だ」
 こんなに逮捕され刑務所に入所し、こんなに時間が有ったのに、誰ひとりとして、「あなたは依存症です」と言った人はいませんでした。警察は事件の事を調べますが、その人がビョーキだと言っても「病気」だとは決して言いません。本人が依存症になっている事を知る術(すべ)がありません。
 ここまで書きましたが、私の初めての裁判の時に情状証人として立ってくれた妻が「このような者を診てくれる病院があるなら通う」といってくれた事が私と病気を結びつける言葉となりました。出所後、頭には病院という言葉が残っていましたが、勇気がなく、病気ではないと思う気が強かったと思います。
 そんな事が色々と有りましたが、私の治療の切っ掛けは今回の逮捕後の事です。私は今回少女にいたずらをしてしまい、私自身かなり煮詰まっていました。逮捕起訴後、拘置支所に移監になって、中で同じ居室になった人で、盗撮など私と同じ罪名で来ていた人が居たのですが、その人が親から差し入れてもらったコピーに書かれていた内容に驚きました。私は罪名を偽っていましたが、コピーの内容を目からはなす事が出来なくなってしまいました。その時初めて「性依存症」の病名を知りました。あまりにも私そのものだったのです。このコピー紙が私の一生を変える事になりました。その人から病院の住所(大石クリニック)を聞き出し、出所後に行くつもりです。
 コピー紙を持っていた青年は「私は病気ではない」と言っていましたが、その人も私と同じ依存症です。裁判も終わり、分類の為に入ったここに来る前の刑務所で、同様の罪で来ていた同囚が、以前に手紙を書いた人が居ると聞いたと話していました。私も今回は病気と解った以上「絶対治る」と思い手紙を書くことにしました。
 私が今まで病気ではないと思って来たこの長い時間、無駄にしてきました。人生も折り返しています。後の人生を無駄にしたくないのです。本当にこの行動を辞めたい。止めたい。こう思っても治らない。本当に辛かった長い時間を無駄にしたくないです。警察では教えてくれません。犯罪を罰する事しかしません。刑務所も「のぞき目的の建造物侵入」だとR3プログラムを受けられません。依存症と教えてくれる人は誰もいません。上に書いた罪名だと一般の受刑者です。刑を終えて出所するだけで中では何も教えてくれません。又、同じ犯罪を繰り返す人(私も含めて)も多々います。このホームページを見て依存症と気付いて立ち止まってもらいたいと思います。 一人でも多くの人達が私のような辛い思いをしないで欲しい。
 最後に、私の治療の切っ掛けは、家族の為、私の後の人生の為です。鈴木先生が書いてくれた「今日一日何かをやってみる」我慢する代わりに何かをやっています。悪い方向に気が行かない方法を見つけていきます。

 すいません。長々と書いてしまい申し訳ありません。こちらも涼しくなって来ましたが、お体に気をつけて下さい。乱筆乱文等お許し下さい。それでは失礼いたします。
                     草々
  鈴木達也先生
           平成25年9月5日出し O

Date: 2013/09/12/18:42:11 No.973

Re:収監者との文通

Oさんへの返書

O様
前略
 お手紙、9月10日に届きました。依存症の治療から更生と社会復帰に向けて確実な一歩を踏み出されている姿に拍手を送りたい思いで拝読しました。 
お手紙の中で性依存症の治療について、「自分で何とか出来る-そんな考え方を無くすようにしたいです。でも先生方のお力をお借りしても、自分自身が治ると信じて努力して行かないと無理だと思っています」と書かれています。これはOさんが依存症克服に向けて不可欠な一つの真理を既に把握されている事を示しています。
 
「君は自分一人の力だけでは断酒する事が出来ない。しかし君は自分自身で断酒をしなければならない」

 これは、1935年にアメリカで創設されて、断酒への有効性の故に全世界的な普及を遂げているアルコール依存症者の自助グループであるAA(アルコホーリクスアノニマス)の基本原理の一つです。つまり、「断酒は依存症者個人の意志や我慢だけで出来るものではなく、医師や断酒仲間との絆が必要である。その医師や仲間の力を借りて初めて自分自身で断酒を継続する事ができる。しかし、医師であろうと仲間であろうと、他人の断酒をする事はできず、自分の断酒は自分でしなければならない」というのがこの原理の意味です。AAのこの原理が正しかったからこそ、AAは今日までの88年の歴史の中で全世界の150ヶ国への広がりを見せ、地球的な規模で多くのアルコール依存症者に手を差し伸べてアルコール地獄からの救いの力となっています。そして、その有効性の故にアルコール以外の各種依存症治療にもAAの原理が波及して、ギャンブル依存症者のGA、薬物依存症者のNAが創設され・・・そして、性依存症者に向けてもSA(セクサホーリクスアノニマス:直訳「匿名の性依存症者達」)が創設されて、日本でも「SA・JAPAN」が全国でミーテイング会場を開設して活動しています。もちろん、大石クリニックでも自助グループとは別に医療機関としての性ミーテイングを治療プログラムの一環として実施しております。
 自助グループの原理の話が長くなりましたが、それは上記のOさんの手紙文面と自助グループの原理がピタリと一致しているからです。だからこそ、冒頭にも書いたように、Oさんの治療に向けた確実な一歩を感じたわけです。

さて、今回のお手紙は「治療の切っ掛け」とのテーマで書かれています。その切っ掛けに至るまでの長い道程を振り返りながら、この病気が世の中に殆ど知られていないが故の病気の気づき難さについて書かれています。本当に仰る通りで、例えば、性依存症の専門治療を行っている医療機関が全国に大石クリニックの他には東京・池袋の「榎本クリニック」という所が一ヶ所あるのみで、それも気づき難さの大きな要因となっています。その為に殆どの性依存症者が自分の病気に気づかないままに、治療にも繋がる事が出来ずに不幸な生涯を送ってしまうという悲しい、あまりにも悲し過ぎる現実があるのも確かです。そして、そうであればあるほど、性依存症という病気についての啓蒙・啓発活動が大きく求められていると言って過言ではないでしょう。その意味で、今Oさんが大石ホームページを通して、性依存症者としての自分の過去と、この先の治療の歩みを手紙の形で公開されようとしているのは大きく深い社会的意義があると言えるでしょう。それは又、今まで性犯罪という形で迷惑をかけて来た社会へのこれ以上に無い償いとなることでしょう。拘置所で同室になった人が持っていたコピー紙の内容にOさんの目が釘づけになったように、Oさんのネット公開文に目が釘づけになる人が必ずいる筈です。そして、その思いが自分自身の治療の力にもなりますので、どうか、この事に確信をもって今後の治療と文通公開を続けて頂きたいと思います。

 9月に入り、横浜も残暑の中ながらも徐々に秋の気配がして来ました。あの連日の猛暑から解放されて少しホッとしていますが、季節の変わり目ですので、お互い体調を崩さないよう注意したいですね。次のお便りを楽しみにしながら、今日はこれにて失礼します。

                      草々
        平成25年9月13日
         大石クリニック相談員 鈴木達也