『今思うと』 大石CL・家族 藤井キヨコ

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この投稿文は、横浜断酒新生会結成40周年記念機関誌=≪「かたらい」No44≫より同会及び筆者の同意を得て転載するものです。
「今思うと」
横浜断酒新生会・中支部(家族 母) 藤井キヨ子
結婚して三十数年、五年前に夫は亡くなりました。生前は酒の問題で様々な思いをしました。自分の母親が亡くなった時でさえ、泥酔してまともに葬式も出せない状態でした。息子の手助けで何とかその場を終える事が出来ました。振り返ると、世間体を気にするあまり誰にも相談できず、飲み続ける夫を理解するどころか、冷たい態度で接して来ました。ずっと夫抜きで・・・コミュニケーションの無い家庭でした。酒を飲む夫の事を誰も、何も考えず日々を過ごして来ました。その内に身体をこわし、どうしようもなくなり、近くの病院より大石クリニックを紹介されました。家族全員で大石クリニックに行き、院長先生から「アルコール依存症」という病名を聞かされ、病気なんだと一応は頭の中に入れたつもりでした。院長先生から断酒会に行くよう勧められたのですが、本人は、治すのは自分なんだから、他の人の話を聞いても意味が無いと頑なに言っていましたが、ある日を境に断酒会に行くと言い出しました。私も一緒に断酒会に行きました。そして酒を口にする事なく、やっと平和で穏やかな毎日を送れるようになりました。
しかしそれもつかの間、あんなに、あんな親父の様にはなりたくないと言っていた息子が酒を飲むようになり、不安がよぎりました。断酒をしていた夫が息子の酒の飲み方がおかしいと言っていたのに、それを聞き流していた事を深く後悔しています。私がもう少しこの病気について勉強し、理解していれば、息子はこの病気にならなかったのではと思うと残念で仕方ありません。
夫の時も、息子の時も、私の心をもっとオープンにして、専門機関に相談していれば、今もこれからも酒で悩むことは無かったと思います。夫も、息子も明日の仕事があるのだから、ここで止めるという事が出来ないという事が信じられなかったし、理解できませんでした。
今、息子は毎日病院と断酒会に行っています。夜のご飯の時、色々と病院での事や断酒会に行った時の様子等を話してくれます。一年前とは比べようもなく変わって来ました。私も二、三回ソフトボールの練習に参加し、笑顔で夫も、息子もこの病気なんですと話す事ができます。目に見えないこの病気、心の病気を理解し、協力し闘って行きます。今やっと安心して寝ることができます。これからもずっと続く事を願っています。