『家族の体験』:鈴木光枝(大石CLリカバリー職員・鈴木崇敬の妻)

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この投稿文は、横浜断酒新生会結成40周年記念機関誌=≪「かたらい」No44≫より同会及び筆者の同意を得て転載するものです。
「家族の体験」
横浜断酒新生会 磯子支部・(家族)鈴木光枝
私は現在五十八才、夫は六十二才です。私は夫の酒害に悩み苦しんだ家族です。夫は結婚した時から毎晩外で飲んで来るか、家で飲むかで殆ど毎晩お酒を欠かした事がありませんでした。ですから、主人は酒好き人と思って、飲む事が当然のように思っていました。飲み過ぎると酒ぐせが悪く、物を壊したり、怒りっぽくなったりしていました。平成六年頃には健康診断で血圧や血糖値が高く、脂肪肝になっていました。それで内科病院に検査入院となり、食事療法や運動で三週間過ごして退院しました。退院後はまだ休肝日を作ったり、飲む量を抑える事が出来ていました。しかし、月日が経つうちに休肝日を取れなくなり、また、年ごろの娘達と些細な事で揉めようになりました。又、仕事を休みがちになり、平成十年頃には、後に上司から聞いた話ですが、年間―百日以上のお休みがあったそうです。平成十一年の六月には連続飲酒となり、仕事に全く行けなくなりました。職場の上司が何回となく訪ねて来てくれていましたが、飲んでいて、どうしても仕事に行く事が出来ませんでした。上司は「このままだと仕事を辞めてもらうようになります」と仰って、アルコールの専門病院を紹介して下さいました。主人は「大丈夫だ、大丈夫だよ」と何回も言っていましたが、とんでもない、食欲はなく、飲んでは寝て、もどしては飲んで寝て、また起きては飲んでの繰り返しで、傍にいる私はたまらない気持ちでした。これからの生活のこと、主人の体のことを考えると、お先真っ暗でした。
兄の電話での説得もあり、やっと専門病院へ入院する事が出来ました。私はつき物が落ちたようにスッキリとさわやかな気持ちになりました。主人はアルコール依存症でした。耳慣れない病名でした。病院の家族会などで勉強して行くうちに、アルコールが薬物である事を知り、その恐ろしさに気がつきました。アルコール依存症とは、アルコールのコントロールが出来な
くなる病気であると初めて知りました。
主人は病院を三ヶ月で退院しました。そして、先生から聞いた断酒会に行き始めていました。私も夫から誘われて断酒会に行きました。でも私は依存症でもないのに何故行かなければならないのだろうかと思っていました。依存症は家族の病気でもあり、共依存もあると聞き、これは家族で一緒に治す病気であると思うようになりました。夫婦は運命共同体であるから、一
生共に回復の道を歩んで参ります。主人は六月で断酒十年になります。この記念誌が発行される七月には、十年になりましたとなっているでしょう。
病院と断酒会に繋がっていたお蔭で、この十年一口もお酒を飲んでいません。感謝の思いで一杯です。これからは夫婦共々に健康に気をつけて、断酒の道をまっしぐらに前進して参ります。