『幻を見た』:大石CL外来通院 佐々木惣二

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この投稿文は、横浜断酒新生会結成40周年記念機関誌=≪「かたらい」No44≫より同会及び筆者の同意を得て転載するものです。 .
「幻を見た」
横浜断酒新生会・泉支部・佐々木惣二
十年程前の十二月二十八日、今年は関西方面での年末年始を迎えようと出発しました。年の瀬とは思えぬ通行量で快適なドライブでした。名古屋から紀西方面、三重県伊勢志摩へ向かう事にした正午頃だったと思いますが、亀山サービスエリアに寄りトイレ休憩に入りました。トイレから出て来ますと見覚えのある人が数メートル前方を歩いているのです。しかし、何故か声をかけなかったのです。車に戻り、家内に「この暮の忙しい時に何で中村君がこんな所にいるのだろう」と話し、大変驚き乍らも旅を続けました。
伊勢神宮で軽食を摂り、店員さんに「今夜の民宿を紹介して頂けませんか」とお願いをしたところ、石鏡という所は歌手の鳥羽一郎の出身地で、漁港でもあり、料理も大変美味しい所だと紹介して頂き、早速そちらに向かい宿泊出来ました。ここの夕食の豪華さには大変な驚きでした。私達はこれまでに、北海道、東北の日本海側―太平洋側、伊豆、房総と数多く歩いて来ましたが、この様な夕食は初めてとびっくりしました。私は喜び勇んで食前のビールを取り、焼酒をボトルでと注文すると何で割りますかと問われ、当然の如くビールでと答えました。女将さんは「この様なお客さんは初めてです」と怪訝な顔でした。すっかり上機嫌になった私は昼間に見た中村君をすっかり忘れていました。中村君というのは家内の姪夫なのです。私達は翌日から日浜、淡路島、鳴門海峡、焼津と廻り一月二日に帰宅したのです。
それから毎日毎日、同じような繰り返しの日々が続いたのですが、一月二十一日の早朝に田舎の姉より電話があり、中村の所が大変になっていると言うのです。彼が十二月二十日に失踪したと言うのです。私が亀山で見たのは間違いなく中村君でした。何故あの時声を掛けなかったんだと悔やまれました。そして捜索が始まったのです。幸い私には県警捜査一課出身の友人が居りましたので相談に乗ってもらい、ポスターを作り、浅草・山谷方面、横浜・寿町方面などを捜しましたが何の知らせもありませんでした。そして六月に入った頃、県警本部より姪の所に、身元不明のままもう遺骨になっている自殺者が捜索願いの人に大変よく似ているとの連絡が入ったと言うので、私は早速県警本部に行きました。身分を明かす品物は何も持っていませんでしたが、私が「間違いなく中村君です」と言いますと、本部から「どうして分かるのですか」と聞かれました。彼が身に着けていた遺品の中に一つだけ、彼が取り扱っている会社のロゴマークがあったのです。間違いありませんでした。翌日家族と一緒に遺骨を迎えに行きました。所轄の警察に行くと、遺品は市役所で管理しているとのことでした。腕時計が正確に動いているのには驚きました。帰りに花束を買って、入水したと思われる所に行き想いを巡らせましたー死を決断させるまで彼の心を苦しめたのは何だったのだろうか?と。後で知ったのですが、彼が販売代金を回収できず会社から責任を追及され、半額を自分で入金していたそうです。後日葬儀を済ませましたが、その時、社長が返金したそうです。もっと早く社員を思いやっていたら、この様な事にならなかっただろうにと非常に残念に思います。
それにしても、なぜ亀山サービスエリアで中村君が私の前に現れたのか不思議でなりません。奇怪なのは、亀山で彼を目にしたのは彼の初七日に当たる日だったのです。今でも彼の月命日には必ずてを合わせて拝み、冥福を祈っています。
今日、私は断酒生活三年目に入りますが、自分自身が絶対に飲酒生活に戻らない為の一つの出来事であると思います。今後とも断酒例会に出席し、諸先輩方々の体験談を拝聴させて頂きたいと思っております。