『酒雑感』:大石クリニック 外来通院 大野芳則

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この投稿文は、横浜断酒新生会結成40周年記念機関誌=≪「かたらいNo44」≫より同会及び筆者の同意を得て転載するものです。  
『酒雑感』
        横浜断酒新生会栄支部・大野芳則
 
  入社した時の職場には酒はありませんでした、しか
し、配置転換になった職場には一升瓶が常に十本位あ
りました。この酒は業者からの差し入れです。仕事の
帰りに誰でも飲める酒で、皆コップで二、三杯呑んで
いました。酒の飲めない私もコップ半分の酒がいつし
か皆と同じレベルになっていました。酒のつまみが南
京豆ではそんなに多くは飲めませんでした。次にやる
事は川崎駅前で餃子を食べながらコップ酒二杯、自宅
に着き物置の酒をラッパ飲み。そして家に入って晩酌
です。これだけ飲めばアルコール依存症になりますよ
ネ。会社に酒が無ければ私はアルコール依存症になら
なかったと思います。私が依存症になったのも会社が
悪いと今でも思っています。
 依存症になって考える事は、どうしたらタダの酒を
多く呑む事が出来るかという事です。たとえば、
一、 通夜には行くが、告別式には行かない。それは
酒が無いからです。
二、 送別会や宴会では話をしない。それだけ酒を飲
む時間が少なくなる。
三、 飲み仲間を作らない。わずらわしいから一人で
酒屋へ行く。
四、 酒屋も椅子のある店から椅子の無い店へと変わ
る。立ち呑みとなる。
 アルコール漬けになった私も定年を迎えることにな
りました。記念すべき定年旅行は北海道に行く事にな
りました。初日から酒を飲みグルメ料理は食べられま
せん。三日目のバスの中で妻は隣の人から言われたそ
うです。
「貴女はご主人を連れて帰って下さい。こんな酒飲
みはいい迷惑です」と。
この言葉を妻はどんな気持ちで聞いたのか!一生働い
た記念すべき旅行を台無しにしてしまいました。旅行
から帰って来て妻と娘の要望で久里浜病院に入院する
事になりました。.
 三ケ月後に断酒を約束して退院しましたが「酒が止
められる」とは思いませんでした。再び酒に捕らわれ
たのは、花火酒が沢山職場に有り皆が呑んでいるのを
見て、俺も飲まなきゃ損だと思ってからでした。そし
て三年後に二度目の入院となりました。
 久里浜病院では入院二ケ月目から、土曜日から自宅
に帰れます。 ある日、 横須賀線で帰る時、私の前に
同年代の夫婦が居りました。次の駅でお孫さんらしい
男の子が乗って来て老夫婦の隣に座りました。すると
奥さんが食べ物や飲み物をその男の子に渡しているの
です。男の子は美味しそうに次から次へと食べている
のです。―――まちがいなくこの夫婦のお孫さんであ
るーーーそれに比べて私の三人の孫はどうか? おじ
いさんが依存症で入院している為何もしてやれない。
この時ほど自分がみじめに思えた事はありませんでし
た。退院してからは断酒して働き、今まで何もしてや
れなかった分を倍にして可愛がるからもう少し待って
てネ。
 そして、断酒七年。今では三人の孫を一生懸命可愛
がっています。