『アルコール依存症と私』:大石CL外来通院 武田美佐子
- 2009.07.30
- 体験談-アルコール依存症 依存症体験談
この投稿文は、横浜断酒新生会結成40周年記念機関誌
=≪「かたらいNo44」≫より同会及び筆者の同意を得て
転載するものです。
≪アメシスト≫:(断酒会の女性会員)
『アルコール依存症と私』
横浜断酒新生会緑支部・武田美佐子
私が「アルコール依存症」と診断されたのは二十四
歳の時です。会社帰りに皆と一緒に飲んでいても、い
つからか「飲み足りない、もっと飲みたい」と感じる
ようになりました。私には当時、アルコール依存症の
知識は全くありませんでした。酒量も飲み方もどんど
ん異状になって行き、その影響は日常生活に及び始め
ました。何事に対してもいい加減で、だらしなくなっ
て行く私を見て両親はとても心配し、私を叱り、詰り
、見張ったり、又「何か悩み事があるなら相談して欲
しい」と、私の気持ちを聞き出そうとしました。でも
、私は何も話す気持ちも気力も無く、ただ「お酒を止
めたくない。飲んで酔っ払っていたい」と、ぼんやり
思うだけで何も考える事が出来なくなっていました。
それでも、主人との結婚話が出るようになると、私
は何とかお酒を止める事が出来ましたが、結婚後また
直ぐに再飲酒してしまうのでした。今思うと、結婚生
活は楽しいけれどストレスもあり、何事も新しく始め
る時には慣れるまでは大変なのに、私は直ぐにお酒に
頼って、自分や現実と向き合うのを誤魔化していたの
だと思います。やがて、お酒のせいで大変な失敗をし
てしまった私は、主人の実家で自分の病気について告
白する事になりました。主人の両親と妹に私がアルコ
ール依存症である事を正直に話しましたー「これで離
婚だ、もう駄目なんだ」と、自己嫌悪でどうにかなり
そうな私に義父母は「美佐ちゃんは何でも百%の力で
頑張ってしまうから疲れちゃうんだよ。三十%できれ
ばOKなんだから、頑張り過ぎてはいけない」と励ま
してくれました。この事が切っ掛けで私は、その後十
二年間もの間、断酒することができたのです。
断酒していた十二年間で、私は六人の子供を産み、
家事や子育て、また障害のある三男の養育もあり、大
忙しの毎日を過ごして来ました。そのせいか、私のお
酒に対する欲求は薄れて行き、再飲酒もなく、通院も
自助会通いもしていませんでした。しかし、私が三十
七歳の時、主人との喧嘩をきっかけに再飲酒してしま
い、十二年間の断酒は水の泡と消えました。十二年の
断酒にも関わらず、アルコール依存症は全く改善され
ていないどころか、以前より酷いものでした。その後
二年の間に私は家族にさんざん迷惑をかけ、とうとう
入院する事になりました。
入院中、アルコール依存症の知識はたくさん得る事
が出来ました。でも、私の中の「家族にずいぶん迷惑
をかけてしまった」という自己嫌悪と「これからつぐ
なわなくちゃ・・・」という焦りは入院前と変わらず
、強く心に残っていました。今思えば「家族のための
断酒」でした。
二回目の入退院後は、私の両親と同居することにな
りました。両親との同居で私の家事・育児の負担が減
りましたが、私の中身は何も変わっていませんでした
。何か嫌なことがあると、ついマイナス思考になって
しまう・・・変わらない家族に対して不満を募らせイ
ライラしているのに、自分の気持ちを話そうとしない
。AAにも病院にも通い続けているのに、本当の自分
の気持ちをさらけ出すことは出来なかったし、そうし
なければアル中は回復できないという事になかなか気
づけなかったのです。二回目の入退院を経て、主人と
断酒会に入りましたが、そこで私はまた再飲酒してし
まったのです。
私のお酒は現実逃避のお酒でした。今の現実が苦し
い。今の自分もいやだ。もう飲んで忘れたい。ポーっ
とした頭で現実と向き合っている方が楽だ。そんな事
を考えていたのだと思います。
一昨年の夏、お酒の止まらない私に主人の「お前が
いると子供達のために良くないから出て行ってくれ」
との一言に家を飛び出してしまいました。散々、迷惑
をかけ、子供達の心をズタズタにしました。明らかに
に飲んでいるのに、飲んでいないと否認し続けました
。飲むお金欲しさに主人の財布からお金を盗み、子供
達の貯金を使い込みました。トイレで寝てしまい、は
ずかしい姿のまま家族に起され非難されても、私のお
酒は止まりませんでした。家出して一週間後、警察に
保護されました。その間の事は殆んど覚えておらず、
ただその時は激しい離脱症状に苦しむばかりでした。
後で聞いた話は、私にとってあまりにつらいものでし
た。その三日後に三度目の入院。この時入院していた
病院には断酒会のメンバーも通院しており、私は顔を
合わさないように、逃げるように隠れるようにしてい
ましたー「こんな姿を見られたくない。酒を飲んでい
たのに例会に行っていた自分が恥ずかしい」という思
いでいっぱいでした。
でもある時、支部長さんにぱったり遭ってしまった
時「生きてて良かった。みんな心配しているよ。退院
したら例会で待ってるよ」と言ってくれたのです。そ
して次の院内例会には、たくさんの会員の方が体験談
を話しに来てくれ、私は胸が熱くなりましたー「私は
ひとりじゃないんだ。こんなになってしまった私を、
例会で待っている人達がこんなにたくさんいる。この
人たちの中で生きていけば良いんだ」と感じることが
できたのです。
この出来事が切っ掛けで、私の意識が変わって来ま
した。自分のことを真剣に考えるようになり、これか
らどうしたら良いのかを考えるようになりました。過
去の事を思い出すと自己嫌悪の塊に戻ってしまいそう
でしたがー「過去は変えられない。変えなくてはいけ
ないのは自分だ。自分の考えを変えなくちゃ駄目なん
だ」と、強く思うようになりました。
今までは「家族のための断酒」でした。迷惑をかけ
た家族に償うための断酒。信頼を取り戻すための断酒
だったのです。 今はー「自分の為にお酒をやめる」
と思えるようになりました。
また、私にとってはアメシスト例会も大切です。女
性だけの例会なので、男性の居る場では話しにくい事
も話せるし、また理解してもらえます。色々な感情を
共感しあえる場所なのです。
今日までお酒をやめて来れたのは、家族や断酒会の
お蔭です。私を家族の一員と認めてくれて、また「ア
ルコール依存症」という病気にかかっている事も認め
てくれている家族に本当に感謝しています。
これからも、断酒会につながり続けていくつもりで
すー「飲むか飲まないかは自分自身の問題。何事も飲
む理由にはならない」と教えられました。今まで現実
から逃げてばかりだった自分を反省しています。例会
に出席し、自分自身を振り返りながらー「今日一日、
お酒をやめる」事を続けていきたいです。
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