久しぶり
- 2011.06.26
- 依存症体験談
久しぶり
命の限り
こんにちは、私はもうじき断酒を始め三年になります、私は良いか悪いか、頭に傷があり、頭部外傷後遺症といわれました。あちこち病院をいきました、昔の事をお話します、半分は聞いた話です。記憶ににないことが多いです。
酒を飲みたいとか今思いませんし味、感覚を覚えていないのです、だから飲まずに入られるのかも知れません。
おいしいものを食べても分からず匂いはほとんどわからないのです、精神病院から早く出たい、そういう思いでした、過去の話ですが個室に手足、胴をベルトで二ヶ月間固定しぱなしですから誰とも話は出来ないし、その間点滴のやりっぱなし針ぬかずでいました、天井と点滴と窓だけが私の視界で毎日の生活ですそれから、回診で、「今日は何年の何月何日」と聞くのが毎日ですが、始め全然分からず昭和か西暦かみんな混乱していました明治、大正、昭和がわからないそして、二か月ぐらいしたら車椅子を使用させてくれました、私は、車椅子に慣れているので平気ですが私の自由には動けません、移動はすべて看護師さんです、たかが1mでも、、それから歩行練習です看護師さんは、早いですねと驚いていました、私はほかのひとが一回やるとこ五回、六回やりました、
電話も限られた人が一日一回、されも看護師にカードを預けてあるのでそれを使用するのです、当然看護師かんが内容を聞き入っています。
面会私は月一回でしたで楽しみでしたが私には面接させないで主治医と話しして帰って行くのです、だかなら私は入院して退院するまであっていませんだからこそ、出たかった、私はそういうところは頑張ります、これは昔からですから、歩行も出来るようになると、何人かで、外に散歩ですが外に出るまでフロアーから二人の看護師たちか三つのドア鍵を開けなければいけません、
外はいいですね、土が最高にいいです、弾力感があり草花も自然で咲いている触ってみた。
再び病室に戻るとドアが二つの鍵二つ、私もやっと点滴を外してもらいましてた、最初はゼリー食ですが水を飲んだ時喉に詰まって息ができなくなりました、それを見ていた看護師がとんできました、危なかったです、息がまるっきり出来ないそのうち看護大学の三年生の女の大学生が実習に私につきました、最後の日に先生がお礼の対札にきました、
ここで学生の由香里さんといいますが、最後のお手紙を貰いました、文末に「楽しい二週間ありがとうございました、これからもお大事に元気に生活してください。」と書き綴っていました。
大学名その他省略しました、変ですが私二人の実習生ににつきましたそして私が退院するとき先生に、もう一人お願いしたかった、とてわれました。そしてわたしも退院かと思ったら、クリニックに行かなければ退院させないと、主治医にいわれました、もうこりごりですからクりニックに行きたくありませんと断りました、その結果退院できませんでした。一週間ぐらい過ぎ早くこの病院を出たかったその思いでクリニックを受寮、二か所のクリニックよりワーカーさんが大石を選別しそのまま家に帰らずワーカーさんと妻で大石に直行しました。
はじめは嫌で嫌で仕方なくでも言葉で言ったことは守る主義なので毎日かよいました、そのうち大石がやっているふれあいという通所介護施設の掃除およびお手伝いをボランテァで二年ほど続けました、このほどパートがみつかったのでそちらのほうは遠慮させてもらいました。
「病なく 子供が如く お願い申しあげ候」
Date: 2011/06/26/18:21:19 No.666
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