断酒1年表彰:大石CJL外来通院 堀野和也(仮名)
- 2013.07.19
- 体験談-アルコール依存症 依存症体験談 表彰状
<表彰状裏面>
=断酒=
大石CL外来通院 堀野和也(仮名)
断酒1年が過ぎたので感想文を書かせてもらえるらしい。感想は断酒に期間など無いという事です。自分の生まれてからの最初の記憶は、4歳の時に熱湯の風呂に落ち全身火傷をして川和クリニックから横浜市民病院に運ばれる時に「もう助からないかも知れません」と言われた事です。結局命は助かり、その後の病院での記憶はなく、祖母の家に居ました。それが最初の生きているとの想いでした。
それから19歳の時にM社に何となく入り、昼夜の交代勤務だったので、一日のリセットで寝るまで毎日飲んでいました。仕事をしながら飲んでいくのも限界になり、33歳の時に2週間会社に行かず連続飲酒となり、そのまま横浜舞岡病院に入院しました。保護室に入り、明かりも無く24時間体を拘束され点滴をしました。その後は鉄格子の中でトイレも自分で流せず、幻覚か現実か解りませんでした。
4ヶ月後、横浜舞岡病院の近くの戸塚協立第二病院にて「両足特発性大腿骨骨頭壊死症」が見つかり、昭和大学横浜市北部病院での手術が決まりました。横浜舞岡病院から出られると思い喜びましたが、手術は怖かったです。平成19年9月21日に転院しようと思いましたが、両松葉杖歩行で、お金も無くバスに乗れず歩いて昭和大学横浜市北部病院に行きましたが転院を断られました。
それから2ヶ月後、母親にお菓子を買いに行くと言って500円くらいもらい、焼酎を買って飲んでいました。それから2ヶ月経って平成19年11月20日にタウンページで調べて予約した大石クリニックに行きました。大石クリニックで「抗酒剤」という物があると初めて知りました。これを飲むと酒が飲めないと思いホッとしました。平成20年の正月に何処にも行く所が無く、大石クリニックの就労支援施設で自助会の人がやっているイベント様なものに12月31日から1月3日の期間参加しましたが、ずっとB5のノートに「申し訳ありません」と書いていました
その後、平成20年1月31日昭和大学横浜市北部病院で左足の手術受け、復職の為パソコンスクールに自費で行きました。そして平成20年9月1日に一旦復職して、平成21年2月に昭和大学藤が丘病院で右足の手術を受けました。そして平成21年7月1日に2回目の復職をしましたが、8月10日の夏休みの日、同窓会で再飲酒して平成19年11月12日朝4時からの断酒が終了しましたが、好きな人に注いでもらいとても美味しかったので良かったです。その後は断酒していましたが、平成22年2月の同窓会終了後に朝起きて朝食を買いに行ったついでにビールを買ってしまい連続飲酒になりましたが、また左足の手術の為に昭和大学藤が丘病院に平成22年3月に入院して酒が止まりました。
そして、平成22年4月、3回目の復職をして自分を高める為に外国の方に日本語を教えるボランテイアをしました。そのころ唯一の飲める友達から生意気がられ、平成22年10月3日にその友達と一緒に行った東京都町田駅で3回目の再飲酒、そして連続飲酒になり、平成22年11月19日、独立行政法人国立病院機構久里浜アルコール症センター(現・独立行政法人国立病院機構久里浜医療センター)に入院し、翌年1月27日に同センターを退院して4日後の2月1日に実家を出て会社の近くの鶴見区で独り暮らしを始めました。そして、その年の3月29日に4回目の復職をして、その日に聴覚に障害のある一人の男の子に仕事を教えることになりました。彼と仕事をし、またコミュニケーションをとる為に7月に手話サークルに入りました。自分の仕事もまだ思い出していないのに、障害のある子に仕事を教えるのは困難を通り越していました。
その年の12月19日、両足の最後の手術をした後、翌年平成24年1月6日に退院しましたが、それから2ケ月間、寝たきりとなりました。2月の末、寝過ぎて日付も覚えられなくなった頃、自力で歩けるようになり、もう何でも出来ると思い、ファミリーレストランに飲みに行きました。ホンの一杯だけと思ったけれど、会社の目の前で病気療養中の身で朝まで飲んでしまいました。そして3月に5回目の復職をしましたが4月に再飲酒、更に5月の連休に再飲酒しました。
その直後の平成24年5月、休んでいた大石クリニックの火曜日の夜のアルコールミーテイングに参加してから酒が止まっています。同年10月1日に20年間勤めていた課の異動があり、加工の仕事から検査の仕事に移りました。開発系の材料調査の仕事で、もの凄く頭を使い、なお且つ長時間の立ち仕事で辛いです。それで私は自動車会社に居るのにもかかわらず普通免許を持っていないので普通免許を取ろうと教習所にに通いましたが、その直後に胆石が見つかり、検査の結果入院・手術を勧められ困りました。その後椎間板ヘルニアの一歩手前の椎間板症になり現在もコルセットをしています。
そんな中で、今年・平成25年4月に所属している手話サークルの会長職に就き、全く暇がありません。でも5月19日に自動車教習所を卒業し、5月22日に40歳で普通免許を取得しました。免許を取った時、警察の事故担当の人が、運転をどんどんして欲しい。でも酒を飲んだら運転をしないようにと言っていました。自分は警察は大嫌いなので厄介にはなりたくない。でも失敗しないとは全く言えない。事故担当の話は、どんどん運転して上手くなって欲しいとの願いなのだろう。
断酒も今日一日で良いのだと思う。
何とかなるさと思いたい。
今日まで出会った方に申し訳ありません。
今日から出会う方にありがとうございます。
今日を一緒に生きている方に感謝致します。
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