収監者との文通:Mさんとの往復書簡

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<M⇒鈴木>
前略
段々と暑い日も増え、私の働いている炊場では汗を大量にかきながら水分をしっかりと摂りつつ日々安全に作業できるようにしています。そちらではいかがでしょうか?

さて、今回のお手紙を頂き、まずは安心しました。この中にいると、一日一日社会が目まぐるしく変化しているのではと思い少し焦り、その焦りからか不安になってしまうのです。でも、それらを解決するには外に出てからの生活で少しずつ慣れる事以外どうにもならない。その通りだと思います。だから私は今できる事を焦らず一歩一歩確実に進み続けようと思います。一歩一歩の日々の繰り返しが不安を少しづつ安心に、というか不安でなくなって行くように思います。

そして、教えて頂いた「いかりの綱」という「認知行動療法」の実践をしてみたいと感じました。頭では解っていても、行動とか、頭の中の片隅に残るのがやはり弱い部分で、それに打ち勝つように実践を積んで、弱さを強い自分に変えようと思う。
何一つ隠さず、同じ気持ちの人達がミーテイングなどで話すことで自分を変えられるのであればやりたいです。今はその前の下準備で自分に向き合い少しづつ自己改善しているつもりですが、この時間を無駄にしないようにします。
普通ならば人は「やってはいけない」事を考えて、「やらない」事ができるが、私は「やってはいけない」事を考えるとその欲求に負けてしまう弱さというか、逆に「やってしまえ」という悪の強さが勝ってしまっている。だから「認知行動療法」でその「やってはいけない」事を考える前の段階で歯止めをかけるやり方を習う必要がある。同じ事を繰り返さぬ為にできる限りの事をやり、今の気持ちや態度を維持したいと思う。自分に負けないようにしたいと思う。今からでもできる「認知行動」を実践してみようと思う。日々の日常生活でもできると思うので。

6月から始まったWカップサッカーでこちらも盛り上がっています。この時期陽射しも強く、熱中症に注意が必要です。くれぐれもお体を大切に、この夏を乗り越えて行きましょう。

追筆ですが、簿記3級の試験にやっと受かりました。苦労したけど良かったです。次は2級にチャレンジします。
草々

<鈴木⇒M>
M様
前略
お手紙、7月7日、七夕の日に届きました。横浜はあいにくの梅雨空つづきで、織姫・彦星の1年に1回のデートは見られませんでしたが、その代わりにお手紙で嬉しいお知らせを頂きました。簿記3級の試験に合格されたそうで良かったですね。おめでとうございます。次は2級にチャレンジしたいとの事ですが、ぜひ頑張って夢を叶えて下さい。

お手紙で「認知行動療法を実践したい」と書かれていますが、簿記2級に挑戦する勉強もこの療法の一環になると思います。何故かと言えば、簿記の勉強が、お手紙に書かれていた「やってはいけない事を考える前の歯止め」になるからです。つまり、簿記の勉強が「いかりの綱」の一本となり、心が危険な誘惑地帯に漂流するのを防止するわけです。
毎週1回行われている大石の認知行動療法ミーテイングでは、次の1週間での毎日の予定表を作ります。その予定表には当然ながら「やってはいけない」事は組み込まれません。逆に日常生活での「やるべき」事や、依存症や犯罪行動などに繋がらない楽しみ・趣味・勉強などの時間、つまり「いかりの綱」を書き込みます。そして次週のミーテイングの日まで立てた予定表通りに生活するわけです。つまり1週間の生活に向けての安全なレールを敷き脱線しないようにレールの上を走れば良いわけです。予定表の中身が「いかりの綱」によって埋められ、それをきちんと実行する事で心が悪い誘惑地帯に漂流するのを防止できるわけです。Mさんの場合、例えば1日の内の1時間に簿記の勉強を組み込んで、それをそのまま実行すれば悪い誘惑から身を守ることが出来るわけです。その意味で、簿記の勉強も「認知行動療法」に立派に一役買えるわけですね。お手紙に今から実行できる「認知行動」を実践したいと書かれていますが、簿記の勉強は正にその一つだと言って良いでしょう。それによって例えば「世の中の変化に取り残されてしまうのでは?」と言った不安や焦りを感じる暇がなくなり、その分ストレスもなくなるわけです。資格を目指す勉強が他方では認知行動療法になるとすれば一石二鳥になりますよね。
もちろん、簿記の勉強だけが「いかりの綱」ではありません。綱は一本でも多いに越した事はありません。他にどんな綱があるでしょうか?読書、音楽、スポーツ、散歩、映画、テレビ、友との語らい、・・・・等々いろいろあると思います。今は中の生活で自由には出来ない事もあるかとも思いますが、外に出てからの為にも色々と考えておいても良いかと思います。

<認知行動療法:私の体験から>
以前にも話したかも知れませんが、私は学生時代に文学部でドイツ文学を専攻しました。その関係でドイツ語が4年間を通して必修科目でした。その私が49歳でアルコール依存症と診断されて断酒生活に入った時、昨日までの飲んでいた時間をどうやって穴埋めすれば良いのか?という問題が再飲酒を防止する為の緊急の課題となりました。そんな折のある日、暇つぶしに出かけた横浜中央図書館で、あるドイツ誌の表紙が目に飛び込んできました。その表紙にはドイツ語の大きな文字で、こう書かれていました。

「DER ALKOHL   HATTE  ALLES   KAPUTTGEMACHT !!」
アルコールが   した   全てを   ?????

ドイツ語の単語はもう殆ど忘れていましたが、一応ここまでは直ぐに理解できました。「ALKOHL」なんて完全に日本語ですし、「ALLES」は英語の「ALL」(オール:全て)の兄弟みたいな単語ですからね。最後の「KAPUTT・・・」が???で難物でしたが、ここまでの訳の流れから、これはもう「破壊」だろうと、カンで訳して、「アルコールが全てを破壊した」と訳し、理解できました。念の為に図書館の独和辞書で最後の難物を引いてみたらやはり「破壊」で正解でした。私はその雑誌記事を即コピーして家に持ち帰り、辞書を頼りにその記事をむさぼり読みました。それはドイツのある芸能人夫婦へのインタビュー記事で、奥さんの方がアルコール依存症で治療を受けて断酒して1年の時の記事でした。そこにはアルコール依存症の何たるか? 病気との闘いの経過、家族の思いなどが実際の体験談としてリアルに述べられており、さながらアルコール依存症の生きた教科書といった感じでした。そしてそれが私にとってドイツ語との27年ぶりの再会となり、以後、図書館や大手書店の洋書売り場でドイツ紙誌類から依存症関連記事を探し出してはネジリ鉢巻でむさぼり読んだものでした。そして気がついたら、それが私にとっての今で言う「いかりの綱」になっていたように思います。自分がかかった病気がビールの国・ドイツではどう治療されているのか?という翻訳テーマは実に興味深かったし、又、ドイツのメデイアは私の期待に正面から答えてくれました。日本では殆ど誰も知らなかったような飲酒欲求抑制剤の話、日本の2倍の断酒率を達成している治療プログラムの話に引き込まれている内に飲酒への誘惑は煙のように消え去っていました。昨日まで毎日一升酒を飲み続け、減らすに減らせず、止めるに止められなかった酒でしたが、そんな私の心の飲酒誘惑への漂流を喰いとめてくれたのがドイツ語翻訳でした。今から20年近く以前の話で、当時はまだ「認知行動療法」も「いかりの綱」もその影すら存在していませんでしたが、私にとっては正にそれが「認知行動療法」であり「いかりの綱」だったと思います。今日「認知行動用法」は自助グループと同じくらい効果があると言われていますが、私の体験からそれに嘘・偽りは無いというのが実感です。

長くなりました。今日はこれにて失礼します。この先、暑い作業場で暑い季節を迎えますので事故や怪我などの無いよう、くれぐれも気をつけて作業して下さい。

草々

平成26年7月9日

大石クリニック相談員 鈴木達也