Cさんからの手紙~②

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Cさんからの手紙~②

(No.735よりの続き) 
さらに驚き話です。鈴木さんも「天文年鑑・2012」の本を購入して本棚に収めてあるとのことですが、驚きでした。天文学に少々興味があるようですね。私と一緒にこの本との触れ合いを深めたいとも書かれていましたね。ですが、私もこの本の中に知らない事柄も沢山あります。御指導・御指南をともありましたが、知っている事は当然教えますが、私もまだまだ勉強中なのです。
 今年の5月21日の金環日食も、写真撮影するならば、ご自身の目に気を付けなければなりません。見る場合、食分の小さい間は太陽光が強いので気を付けて下さい。上大岡駅近くのヨドバシカメラで日食用サングラスが千円以内で発売されていると思います。私も購入して自宅にあるのですが、それなら太陽を見ても目には安全です。取り扱い説明書をよく読んで使用するならお勧めであります。
 私は天体望遠鏡を持っていますが、望遠鏡は大きく分けますと、電波望遠鏡、光学望遠鏡に分類されます。又、光学望遠鏡にも屈折~反射望遠鏡に分類されるのです。更に、反射望遠鏡の中にも、補正レンズの付いた「シュミットカセグレン」式の望遠鏡があります。それぞれ特徴があり、使用目的が異なります。惑星系を観測する場合は屈折、銀河・星雲・散光星雲・球状星団・散開星団等を観測する時は反射が良いですね。
 又、屈折は反射より値段が高いです。たとえば、口径10センチ屈折が10万円するとしたら、反射なら口径が2倍の20センチ反射が同じ値段の10万円で購入できます。(あくまでも、おおよそ、だいたい、約です)
 ちなみに、私の望遠鏡は光景20センチ(200mm)です。望遠鏡は本来、口径も焦点距離もミリ単位を使います。私は屈折・反射・シュミットカセグレンの3本を持っているのですが、この中の反射はD(口径):200ミリ、f(焦点距離):800ミリ、F値(明るさ数字):F4アイピースレンズは26ミリ・32ミリ・12.5ミリ、20ミリ・10ミリ・5ミリの6本を持っています。この6本のレンズを交換することで倍率を色々と換えられるものなのです。望遠鏡を知らない人はよく「あなたの望遠鏡は何倍ですか?」と聞きますが、倍率は固定ではありません。その用途に応じて倍率を換えるのです。また、倍率が必ずものを言うということではありません。惑星は倍率を高くしますが、大気の状態が悪い時は下げます。銀河・星雲等は倍率を高くすると全然ダメです。
 口径200ミリ、焦点距離800ミリ、アイピースレンズ径26ミリを使用した時、
F÷D=Fというように明るさが計算されます。即ち、800÷200=F4です。カメラのF5.6 F2.8 F1.4なども明るさです。
 次に、f÷アイピースレンズ径=倍率です。即ち800÷26=30.7・・・四捨五入して約31倍となります。口径と焦点距離は変わりませんので、6本のアイピースの中から5ミリのアイピースに換えた時は、f800÷5=160倍率と成ります。
 又、その次には、天文年鑑319頁をご覧下さい。口径200ミリの時の分解能というのは0.6秒角です。図表の上段・下段の表は、その望遠鏡の持つ極限等級であり、私の望遠鏡は200ミリですので、14.3等星が限度となります。
 なので、望遠鏡は倍率にこだわらずに口径がものを言うのです。日本の国立天文台「すばる」は口径8メートル20センチメートルで、ハワイの山頂にある世界最高性能を誇る望遠鏡です。標高が富士山より高い4200メートルに世界数カ国の望遠鏡があります。
 アメリカは、口径だけで言えば世界最大の10メートルです。しかし、これは1枚鏡ではありません。六角形レンズを何枚か張り合わせたもので、日本は1枚鏡です。ですから焦点を集めた光は鮮明に見えるのです。又、望遠鏡は自分で作ることを知ると楽しいですね。
この話、長くなりました。ごめんいさい。

 最後の話になりますが、いつも厚かましくお願いばかりで本当に申し訳ないと思っています。前回の手紙でお願いした金環日食の新聞記事の件、OKして下さり有り難うございます。
 それと、私の父親への家庭内の問題ですが、鈴木さんの手紙が届く2日前に、現金書留で1万円が父から届きました。本来なら父から勘当されても当然なところですが、心配してなのか現金を送る父の気持ちに涙を流す思いでした。これも含めて、今度こそは再犯しない自分でないと本物の勘当になるだろうと想いました。
 そんなことで鈴木さんに変なことをお願いしたことは申し訳ない思いでいっぱいです。ごめんなさい。
 更に、毎回の手紙の文字が乱雑ですみません。所内で手紙を書いていると、冬は寒くてどうしてもそのようになってしまいます。悪しからずご了解願います。
 天文の話がながくなり、済みませんでした。それではまた、4月のお手紙を送りたいと思います。お体はくれぐれもお大事にして下さい。
                                         草々
            平成24年3月7日  C
↓返書

Date: 2012/03/23/12:41:55 No.734

Re:収監者との文通

Cさんへの返書~①

C様

前略
 3月7日付のお便り拝読しました。いつもご返事が遅れて申訳ありません。大石や断酒会の仕事を順に進めながら、ようやくCさんへの返事書きに漕ぎ着けました。遅くなっても必ず返事を書きますので、悪しからずご了承下さい。

 さて、刑務所内での性犯教育を受け始めたとの由、私も大変嬉しく思っています。お手紙に、「セルフ・マネージメント・プラン」、「コーピング・スキル」、「セルフ・トーク」、「セルフ・モニタリング」、「リラクセーション」、「認知のゆがみ」、「慢性・急性トリガー(きっかけ)」・・・等々の教育用語がズラリと並び、又、テキストやワークブックを計11冊使用すると書かれており、これは本格的な教育・治療なのだなと私の立場からも本当に心強い思いがしています。
 以前にも書いたように、大石クリニックでも最近では、性依存症治療プログラムの最初の5ヶ月間に認知行動療法に基づく教育ミーテイングを導入していますが、その内容はCさんが受け始めた性犯教育とほぼ共通していると思います。以前の私の手紙で、「出所後の大石への再通院では、聞き慣れない耳新しい用語を沢山耳にするでしょう」と書きましたが、刑務所内で教育を受けられて出所したCさんにとっては、それらの用語は既に耳新しさを卒業し、塀の外の実社会で実践すべき用語となっていることでしょう。ですから、刑務所内で性犯教育を受けられるという事は、それだけ更生と社会復帰を早める結果に繋がるものだと思います。
 性犯教育には又、再犯防止はもちろん、人間としての生き方全般にも応用できる中身も含まれており、新しい人生の創造をも可能にするものとして希望を持って頂ければ嬉しく思います。依存症になったからこそ、治療による「回復」によって元のゼロの状態に戻るのみでなく、その上更に、治療の継続によって依存症にならなければ展望できなかった「新生」の道が開けて来ると思うのです。そう、「転んでもただでは起きない」という生き方が可能になると思うのです。治療の継続により、再犯をしない状態(ゼロの状態)から更に人間的成長が進む中で、Cさんの仏教徒としての道、又、天文学を生かして母校の子供達と話ができる、そういう新しい人生航路が拓けて行くことでしょう。

 次に、お手紙の中で、「私は仏教に帰依した信仰者・信徒なのですが、それにも拘らず刑務所に6回目の服役です」と書かれていますが、この文面の前・後半の間の矛盾を解く鍵が「性依存症」の本質の中にあると思います。つまり、依存症の本質は病気です。そして、仏教徒は人間です。生身の「人間」たる仏教徒が性依存症という「病気」にかかったとしても何ら不思議はないと思うのです。同様に生身の人間たる医者が病気にかかっても何ら不思議はないと思うのです。「仏教徒」や「医者」をどんな種類の人間に置き換えてもこのフレーズは成立します。学校の先生であろうと、警察官であろうと、サラリーマン・・・であろうと病気にかかります。依存症は遺伝質や成育環境の中で脳の神経やホルモンに障害が生じた病気であり、従って、その原因は本人の責任とは次元の異なる所にあると私は思っています。とはいえ、その治療には反省や償いが必要なのもまた事実だと思います。反省、償いに治療の力があるからです。
         (②へ続く)
 

Date: 2012/03/23/14:43:51 No.736

Re:収監者との文通

Cさんへの返書~②

そして、もう一つ性依存症をどう見るかについて考えてみたいと思います。上記で依存症は病気と書きましたが、病気を癌という病気に置き換えて見ると非常に分かり易いと思います。癌は別名を「悪性新生物」とも言うようです。つまり、癌とは患者の身体に新しく生じた生物であり、元々それは患者とは別の生物なわけです。患者にとっては自分の命を奪おうとしている不倶戴天の天敵であり、これはメスで切って捨てるか、抗癌剤で毒殺するか、はてまた放射線で焼き殺すかしなければならない大敵です。つまり、癌患者にとっての癌は殺すか殺されるかの相手であり、言って見れば核ミサイルを向け合って敵対している戦争相手、敵と言っても良いでしょう。ですから患者は、癌=自分自身とは決して思わないし、そう考えもしません。ところが、ところが、不思議なことに、同じ病気でも依存症となると、ちょっと、否、大きく事情が違って来るのは何故なのでしょうか??? 世間一般に、依存症患者=患者その人・患者の全体像と見られがちですね。依存症者=生まれつき意志が弱い、生まれつきの全人格的障害者と見られがちで、だから当の患者自身も恥辱感から自分の病気を認めたがらず、従って治療にも繋がり難いし、何とか治療を始めても、それがネックになって治療を中断してしまうというケースが実に多いんですね。ですから、この病気の予後の別れ道は、癌と同じく本来は自分とは別物の病気と割り切れるかどうかにかかっていると思うのです。つまり、性依存症とは自分の体の一部である脳内の性欲コントロール神経とホルモンに障害が生じた病気であり、それは決して自分の全体像ではないとの知識と意識を持ち、恥辱感を持たずに、専門治療に繋がり続け、回復の道を歩み続ける以外に人間らしく生き続ける道は無いと私は思います。
 そして、当然の事ながら、病気だからという理由で、過去を正当化する事はできません。自分自身を傷つけ、被害者や家族、社会に大きな迷惑をかけた過去を正当化する事はできません。それでは治療も更生も進みません。病気だけれども、過去への反省、償いを最高の薬として治療の道を歩み続ける必要があると、自分自身が治療継続中のアルコール依存症患者である私は確信しています。
 Cさんは今、刑務所内での教育という形でそういう治療の道を歩み始めました。それは、更生・新しい人生への門出を意味していると思います。どうか、この道を歩み続けるよう心から願い、また期待しております。

 さて次に、Cさんと一緒に「天文年鑑2012」との触れ合いを深めたいとの私の想いに応じて頂き有り難うございます。
 天文年鑑・319ページ、早速読ませてもらった・・・のは良いのですが、正直言って天文学ド素人の私にはちょっと難しかったです。でもCさんの所有する口径200ミリの望遠鏡で14.3等星の星まで見えるという事は分かりました。肉眼で見える限界が6等星までとの事ですので、14.3等星となると肉眼の限界を遥かに越えた、肉眼では絶対に見えない顕微鏡的な?星なのだろうなと素人的な思いがしました。以前に頂いたお手紙で、出所したらCさんが撮った天体写真を見せて頂けるとの事でしたので、口径200ミリの世界というか宇宙を目にできる日がますます楽しみになりました。

それから仏教の話ですが、Cさんが「自分は三途の川の『強深瀬』を渡ることになる」と書かれたのは、再犯を犯さない自分になる為の自分への戒めの思いからだったのですね。私は、更生への自信を失いかけているのかな?と思ってああいう書き方をしてしまいました。ごめんなさい。でも、野球選手の打率を例にしての、問題行動や犯罪を犯さない年月の中で過去の悪性の度合いが薄まって行くとの話をご理解頂けたようで嬉しく思いました。

最後になりますが、仏教や天文学、望遠鏡の話、大変興味深く読ませて頂きました。いずれにも素人の私には難しい面もあるのですが、素人なりにインターネットなども活用しながら理解できる範囲だけでも理解して行きたいと思っています。そんな形でCさんと文通していると、出所までに私もけっこう博識になれるかな?なんて思いもしています。その意味で、月1回のこの文通が私の立場からも楽しみになって来ましたので、今後ともよろしくお願いします。

3月も下旬に向かい、桜の春ももう目前で少しずつ暖かくなって来るとは思いますが、お身体には気をつけてご自愛ください。又、4月のお便りを楽しみにお待ちしております。
草々

               平成24年3月23日
                   大石クリニック相談員 鈴木達也

Date: 2012/03/23/14:47:01 No.737