収監者者との文通 : Mさんとの往復書簡 

NO IMAGE

<M⇒鈴木>
拝啓
季節はすっかり暖かくなり、とても過ごしやすくなり、外の花も色々と咲き乱れてきれいです。そちらはいかがですか?
さて、毎日の仕事の作業中なかなか物事がうまく行かない時がある。皆それぞれ忙しく一生懸命働いてくれているが、ミスが続いたり、中途半端で終わらせたり、抜けていたり、人に任せてやっている振りをしたりしている。一つの事を責任もってやれていなくて、それでミスになり、そのミスを人の所為にしてしまう事が多い。
ついつい私も責任者として指導に熱が入り何度も同じ事を伝えている内に、またか ! と思ってしまい強い口調になってしまう事が多くなって来ている。毎日同じ事を言っているのに、毎回同じ様なミスを繰り返しているので本当に理解しているのか不安である。休憩中に再度話してみたり、言い方を変えてみたりしているが、次の日には忘れられている状態だ。我が班は出来ないことが多い。
一緒にやってみたり、色々とやり方を変えたりしているが、言葉強く言ってしまうのが最近の私の悩みの一つです。言葉を強く言っても、伝わる時と伝わらない時がある。それだけ理解を求めてしまっているのかも知れませんが、それを外の人が聞いていたら嫌かな?とか、今のは注意しなくても良かったかな?と思いながら作業しているが、こういう日が続くと前の自分に戻ってしまう様で不安です。今まで積み上げてきたものが無くなりそうで嫌だ。中々難しいです。毎日が少しでも前進し皆でミスを無くす作業ができれば良いなと思う。
話は変わりますが、「欲求を抑制する方法」を実行する意志のことですが、私は以前、タバコが好きで毎日よく吸っていました。それこそ食べることと同じように毎日欠かさず吸っていました。ここに来て、最初はキツかったですが、今は吸えないので我慢しています。というより、も吸わなくなって2年以上越すのでタバコのことなど考えもしないし、近くに無いので忘れている感じです。でも映画や本などに出てたり、目につくと気にはなりますが、前ほどではなく我慢できます。
しかし社会では、手の届くところに居たり、目に入るし、ケムリの香りもあり、また吸いたくなる。この中では考えないようにしているし、近くに無いし、届く所に居ないので吸わずに済んでいる。そんな状態です。タバコでこういう状態なのに、自分の欲求がどうなってしまうのか心配だ。考えないで済まなくなるし、「我慢する」になってしまうと頭の中で考えている状態が続いてしまう。そのように考えると気が気でないです。作業も欲求も、また元の自分に戻ってしまうのではと、心配です。
ここまでは、少しづつではありますが自分は変わって来ています。もちろん前進はしていますが、また前のように少し戻っている気がしてなりません。自主学習ノ-トなど読み返しているが、社会に戻って忘れてしまわないかと心配だ。
人の所為とか、何かの所為とか、そういう言い訳みたいなものをしたくないので、何とか今のままの自分でいたいし、もっと変われるなら、自分に自信が持てるようにしたいものです。これからも初心を忘れずにいます。
私事ですが、今月で早くも40歳になってしまいます。何か、気がついたらこんな年になってしまっている感じです。若干ですが、体のいたる所に不具合も生じます。まだ40なのに恐ろしい。とにかく健康でいれば何でも出来ます ! お互いに体に気をつけて過ごしましょう。ではこれにて失礼します。
草々

<鈴木⇒M>
M様
前略
お手紙、5月7日GW明けに出勤したその場で受け取りました。消印から見ると多分GWの最初の頃に届いていたのでしょう。連休という事情で返事が遅れたと思いますが何卒ご容赦下さい。
さて、そちらも春たけなわのようですね。横浜も寒くもなく、暑くもなく爽やかな新緑の季節を迎えております。このままうっとうしい梅雨や猛暑の夏が来なければなんて思いもするのですが、せいぜい今の内にこの季節を楽しんでおきたいと思うような昨今です。
お手紙を拝読して、炊場の責任者として自分の仕事のみでなく全体に目を向け、気を配り、ミスや事故の無いように神経を使って居られる様子に思わず「ご苦労様、お疲れ様」と声をかけたい思いがしました。でも、本当に大変ですね。そのストレスや疲れからくれぐれも事故が起きないようにお願いします。
そして、更にお手紙を読みながら私が印象深く・心強く思ったのは、Mさんがそんな仕事の中での自分の心の状態を客観的に見つめられて、このままでは元の自分に戻ってしまうかも知れないとの警鐘をご自身に対して打ち鳴らしている事です。これはやはり自主学習ノートなどで過去の自分を見つめられながら前に進んできた一つの進歩なのだと思います。
以前にも書きましたが、依存症者は頑張り屋さんが多くて、どうしても完全を求め易いんですね。それは良いのですが、その反動として完全(100%)と現実(例えば50~60%)との間の落差・ギャップに焦りを感じ、それが周囲との人間関係にも悪い影響を与えてしまいます。その意味でお手紙にも書かれている 「言葉を強く言っても、伝わる時と伝わらない時がある。それだけ理解を求めてしまっているのかも知れませんが、それを外の人が聞いていたら嫌かな?とか、今のは注意しなくても良かったかな?と思いながら作業しているが、こういう日が続くと前の自分に戻ってしまう様で不安です」と思えるようになった、つまり自分自身に警鐘を打ち鳴らせるようになったのは大きな前進だと思います。でもせっかく警鐘を打ち鳴らせたのですからそこで止まらずに、ではどうすれば?の答えをみつけたいですね。
では、どうすれば?ですが、例えば、先ずは色々なミスや手抜きについて注意すべき事と黙って見守る事を整理して分けて考えてみたらどうでしょうか、つまり重大な事故に繋がりかねないミスや油断、手抜きに対してはその重大性を含めてしっかり注意し、それ以外には距離を置いて見守り、班員の人にむしろミスをさせてあげ、その結果を体験してもらうことで、言われなくても自分自身で自覚してもらえるようにするというのも一つの方法かなと思います。そうなればMさん自身も心に余裕がもてて楽になるのではないでしょうか?

次に「欲求を抑える方法を実行する意志」についてですが、これは特に外に出てから大事な事だと思いますが、その為にも中に居る今からその大切さを心に刻んでおいた方が良いかと思います。お手紙にも書かれている通り、今は中にいるから欲求を刺激する誘惑もなく、比較的容易に平常心を保てていますが、外に出た瞬間にそこは多種多様の誘惑が渦巻いている世界ですから、ただ「我慢すれば良い」では済まなくなります。特に各種依存症者にとっては、誘惑や欲求に対して個人的な「我慢」だけで闘おうとしても、それは自分の中に入り込んでいる依存症という猛獣と素手で闘うようなもので、負けるのが当たり前と言って良いでしょう。それは私がここでクドクドと解説するまでもなく、他ならぬMさん自身が過去に何度も体験している事だと思います。お手紙の中で、外での誘惑にに負けたら『自主学習ノート』の内容も忘れてしまうかも知れないと書かれていますが、そうならない為にも外に出たら「欲求を抑える方法」を実行して欲しいなと思います。その方法、つまり性依存症治療の為の通院と治療仲間とのミーテイング、心を支え合う仲間との絆作りが依存症猛獣と闘う武器となり、盾となります。

そうですか、今月で40歳ですか !! 私で言えばアル中になったかならないかの頃だったと思います。アル中の診断を受け治療を始めたのが49歳でしたから、Mさんの40歳という年齢は治療による幸せな人生街道をまだまだ切り拓いて行ける年齢と言って良いでしょう。それを心から願いながら今日はこれで失礼します。暖かい春暖の季節とはいえ、体には気をつけてお過ごし下さい。
草々
平成26年5月8日
大石クリニック相談員 鈴木達也