私のアルコール人生 中村滋男
- 2008.03.20
- 体験談-アルコール依存症 依存症体験談
=この記事は、横浜断酒新生会機関誌「かたらい」第41号より同会、および筆者の同意を得て転載するものです。筆者は38年の飲酒→依存症人生の末に専門治療と断酒会に繋がり、現在社会復帰を遂げ、健康で明るい断酒、家庭生活を送っている方です。
そこで一句 : 「酒断ちて、ネットに咲きし、断酒花 」 : 大石だより編集部=
《横浜断酒新生会機関誌「かたらい」第41号より》
=体験談= 「私のアルコール人生」 : 西支部 中村滋男
世間では「お酒と上手く付き合う」とか、「お酒は百薬の長」とか、「お酒はストレスを解消する」とか色々とお酒についての良いお話しをし、それが耳にも聞こえて来ます。でも私にとってのアルコール人生はそんなに良いものではありませんでした。
思い起こせば、今から40年くらい前、私が初めてお酒を口にした16歳の頃でした。こんな不味いものと思った初めてのお酒が、やがて時が経つにつれて私の人生で一番大事な物、これなくしては生きて行けない物になっていました。体調が悪い時でも関係なく毎日飲むようになり、やがて仕事が休みの日は朝から飲むようになりました。仕事仲間から「酒臭い!」と言われることが多くなり、その度に、「昨日、飲み過ぎちゃって二日酔いなんだ」と嘘をつくのも度々でした。
当時の私は川崎のスーパーマーケットの水産部で働いていましたが、ペッドポトルに入れたお茶に焼酎を混ぜて仕事中に飲んでいました。他人から見ると、恰もお茶を飲んでいるように見えていましたが、実はお酒を飲みながら仕事をしていたわけです。昼食の休息時にはコンビニでワンカップの焼酎を2本買い、それを公園で飲み、それから食事に行きました。その様な生活がしばらく続くうちに、やがて朝出勤する前に駅の売店で飲むようになり、一日中酒を飲んでいる様な生活になって行きました。
この頃になると記憶が跳ぶいわゆる「BLACK OUT」を経験する事が多くなり、又、手が震えて字が書けない事もありました。酒に酔ってのトラブルも多く、信頼も失い、色々な物を紛失するようにもなりました。家族や世間から「アル中」とか、「アルコール依存症」などと言われることが多くなり、やがて、仲の良かった友人からも軽蔑されるようになっていました。それでもひたすら飲み続けて、やがて仕事にも行けなくなり退職してしまい、家で朝から一日中酒に入り浸った生活となりました。
この頃になると、食事は殆どと言ってよいほど摂らず、酒を飲むだけの生活が暫く続きました。身体も脳も完全にやられてしまいました。記憶は何日も跳び完全なBLACK OUT状態で、又まともに歩くこともできなくなり、大小便の失禁も始まり、身体も痙攣するようになりました。ものを考える事も出来ず。頭の中は真っ白な状態。そして無気力。それでも、ただひたすら飲み続けていました。酔い潰れるまで飲み続け、酔いから醒めると又飲むといった有様で、飲んでいない時というのは、飲み続けて酔い潰れ寝ている時だけでした。もう自分ではどうしようもなく、アル中末期の状態になっていました。妻や家族からは離婚して家から出て行ってくれと言われ、又、何処かで死んでくれとまで言われるような毎日でした。
そんな状況の中でも、神様は私の心の中の片隅に良心の一片を残しておいてくれました。病院に行って治そうと自分自身で思いました。間に合うかどうか分からないが兎に角病院に行き治療を受けて、できるものならもう一度人生をやり直したいと思いました。しかし何処の病院に行っても相手にされませんでした。最後に西区役所からの紹介で、やっとの思いで専門病院である大石クリニックに繋がり、大石院長の治療を受けて断酒を続け、現在2年が過ぎました。
大石クリニックに繋がった時、その入り口への階段を一人では昇れず、人手を借りてやっとの思いで昇りました。そんな廃人同然だった私がその後断酒会にも入会して断酒を続け2年が過ぎ、お蔭様で身体も脳も元気になり、人間としての普通の生活が出来るようになりました。
38年間のアルコ-ルに溺れた人生でした。「ネプチュン(海の神様)よりバッカス(お酒の神様)の方がより多くの人間を溺死させている」という例え話がありますが、正にその通りだと思います。私もあの時、大石クリニック」と断酒会に繋がっていなかったなら、そしてそのまま飲み続けていたなら、アルコールで溺死していた人生だったと思います。アルコールとは依存性のある薬物で、人間の脳の中枢に作用して人間を変えてしまう薬物。それが分かった時からお酒が止まりました。38年間という私の長いアルコール人生の中で離婚があり、会社の倒産があり、その他にも数え切れないほどの色々な物を失い、家族を含めて多くの人々に迷惑をかけ、埋める事の出来ない傷を作りました。その原因の全てはアルコールにありました。今私が断酒を続けて、毎日人間として平凡な普通の生活を送る事こそが私にとっての償いであり、他界して逝った父母への出来なかった親孝行であり、供養であると思っております。
アル中末期の廃人だった私をここまで引っ張ってきて下さった大石クリニックの院長先生、並びに医療スタッフの皆さん、そして断酒新生会の同志の方々に深い感謝と敬意の気持ちを捧げたいと思います。 「明日は飲んでも、今日は飲まない」・・・「一日断酒」の志と、その毎日の積み重ねが明日に繋がるのだとの思いを胸に頑張っている毎日です。
もっと早く気づけば良かった。過ぎ去って行った38年間という年月は戻って来ません。私の大事な人生。残念です。悔やまれてなりません。その思いを逆バネとして、エネルギーとして、この先の人生を一歩一歩と歩んで参ります。
終わり
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