『アルコール依存症と家族』:デイ大石通院 山田茂
- 2009.07.30
- 体験談-アルコール依存症 依存症体験談
この投稿文は、横浜断酒新生会結成40周年記念機関誌
=≪「かたらいNo44」≫より同会及び筆者の同意を得て
転載するものです。
『アルコール依存症と家族』
横浜断酒新生会中支部・山田茂
私がアルコール依存症と診断されてから、平成二十
一年六月で満三年が経ちます。
飲んでいた頃、体調は最悪で、最後は手の震え、足
に異状が来て一人では立ち上がることも出来ず、その
内に幻覚も見て恐怖におののきました。母親に話して
も分かってもらえず、辛い日々を過ごしていました。
そんな状態でしたので仕事にも就かず、酒だけは毎日
朝から飲んでいました。
そうこうしている内に兄貴から「もう、お前の面倒
はみれない。家から出て行け」と言われました。目の
前が真っ暗になり途方に暮れましたが、仕方なくバッ
グ一つを持ち家を出ました。歩く事もままならず、杖
をつきフラフラしながら、どうしようかと考えていま
した。お金も一銭も無く、もうホームレスになるしか
ないなと思いました。この時点で兄弟全てに縁を切ら
れていましたので頼る所もありませんでした。そこで
ふと思ったのが、小さい頃から兄弟同然に育った従兄
弟のことでした。従兄弟は私と同い年で三ツ沢で世帯
を持っていました。そこでなりふり構わずそこを訪ね
ました。案の定びっくりして迎えられましたが、今ま
での事情を話し一晩泊めてもらい、二万円を借り簡易
宿泊所の宿泊代にしました。お蔭でホームレスになら
ずに済み、この時の二万円ほど有難いと思った金はあ
りませんでした。
それから役所のお世話になり現在に至っています。
母親も今年九十二歳になるのですが、生きているのか
どうかも分かりません。それだけが今後悔していると
ころです。丸三年経ってもう良いのではないかと思っ
ていますが、それは自分だけの思いで、兄弟はそう思
っていないと思います。数々の迷惑、それは兄弟とは
いえ許して貰えないと思っています。それでも今、断
酒会という会に巡り会い、色々な人と話をし、助言を
貰いながら毎日を過ごしています。そのうち兄弟との
修復も出来ると信じています。
それには「一日断酒」・「例会出席」を欠かさずに行
きたいと思う今日この頃です。
-
前の記事
『幻を見た』:大石CL外来通院 佐々木惣二 2009.07.28
-
次の記事
『母』 大石CLリカバリー職員・鈴木達也 2009.07.30