収監者との文通 Bさんとの往復書簡 H26-9-10
<B⇒鈴木>
前略
厳しい暑さが過ぎて、過ごしやすい日が続いていきますが、いかがお過ごしでしょうか?
早速ですが、前回の手紙では体育祭で工場が2位になり、団結しているという話をしましたが、ここ最近はトラブル等が続いて工場から何人も出て行ってしまう事が続いています。
人間関係の難しさや刑務所生活の大変さを改めて感じています。この中には真面目に生活している人もいれば、そうでない人もいます。それでも生活している中で嫌でもそういう人と接して生活しなければいけない時もあり、悩むこともあります。実際に足を引っ張られて工場から出て行かなければならなくなった人もいます。納得できない事もありますが、受刑者としては納得する他ないのだと思っています。それに受刑者は刑務官から基本的に疑いの目で見られています。当然の事だけど、それを実感しています。それでも私たちは真面目に一日一日を生活しなければいけません。
工場の雰囲気が悪くなり、担当の先生から工場の皆に「感謝の気持ちをもて」と言われました。今、皆が訓練を受けられるのも、3食のご班を食べられるのも、国民の皆様の税金によるものであり、決して当たり前の事ではない。その気持ちがあれば、真面目にしっかり生活できるはずだと言われました。
私は当たり前だとは思っていませんでしたが、心からの感謝の気持ちは無かったと思い、改めて、心に「感謝」という気持ちを持ち生活しなければと思いました。家族もそうですが、自分が多くの人に支えられていると改めて考えることができました。また工場が一つになれるように皆で頑張っていこうと思っています。
季節の変わり目で気温の変化が大きくなりますので風邪などに気をつけて下さい。
草々
平成26年9月5日 B
<鈴木⇒B>
B様
前略
残暑が続きながらも、どこか秋の気配も感じる昨今ですが如何お過ごしでしょうか?お手紙9日に届きました。
最近周囲にトラブルが多く人間関係の難しさを実感しているとの事ですが、刑務所という生活環境の中での集団生活で色々な事があるのでしょうね。でも何があっても「耐える」という事は「耐えられる」という事を意味しており、そこには一つの「力」を感じます。ストレスに耐え切れずに自棄(やけ)になって気持ちを暴発させて喧嘩をしたりするのはその耐える「力」が足りずに自分自身に負ける事を意味しているのだと思います。逆に言えば、「耐えられる」というのは自分自身に勝つ事を意味しているわけですよね。お手紙では、受刑者としては嫌でも納得して耐えるしか無いと書かれていますが、それは耐える力を身につけ、自分自身の弱さに打ち勝つ訓練をしているのだと思えば気持ちも明るくなるのではないでしょうか?
担当の先生が仰る税金を払ってくれている国民への「感謝の気持ち」も大事なことだと思います。出所してからの一般社会での生活を考えても、人は人に支えられて生きている事を考えればやはりこの「感謝の気持ち」は生涯を通して大事な事だと思います。
しかし改めて考えてみると、日常生活で人への感謝の種というのはつい見過ごしてしまい、感謝すべきを感謝せずに時を過ごしかねない事が多いのではないでしょうか?ですから、皆が互いに感謝の種を探しあってでも、「有り難う」~「有り難う」と言い合って暮らせたら世の中どんなに明るく、平和になるかと思うんですよね。
因みに、依存症の治療も仲間との支え合いの中で可能になります。仲間の依存症体験談が自分の病気の鏡となり、その鏡を見つづける事が自分の病気を認識し続け、依存を断ち続ける力となります。そして又、逆に自分の体験談も仲間の力となります。この支え合いから生まれる相互の感謝の気持ちが継続する中で依存を断ち続ける事が可能となります。ですから仲間への感謝の想いが依存症治療の薬になると言って良いでしょう。
Bさんが担当の先生の話によって社会への感謝の想いを改めて認識し直したように、私も今回のBさんの手紙を読み、返事を書く事によって「感謝」の大切さを改めて頭と心に刻む事ができ、やはりBさんに感謝しています。有り難うございます。
溶接科の訓練は順調に進んでおりますか? 一つの技術を身につけるのには色々と困難もあるとは思いますが、お兄様と一緒に仕事が出来る日を夢見ながら、あと7ヶ月、頑張って欲しいと思います。
それでは、今日はこの辺で失礼します。夏から秋へと季節の変わり目を迎えますので体調を崩さないよう気をつけてください。
草々
平成26年9月10日
大石クリニック相談員 鈴木達也
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