収監者との文通 Aさんからの手紙

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収監者との文通

Aさんからの手紙

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前略
 鈴木さん、お手紙は3/5(土)に着きました。手紙が届いてから「怒り」について考えてみたのですが、思うように答えと言うか、何て言えば良いのか、うまく言い表わせません。まぁ過去に思っていた事と言えば、「勝っていた時に何で帰らなかったんだろう」とか、「何でお金を全部使ってしまったのだろう」と、その時の自分に「怒り」というか、反省みたいな気持ちは持っていたと思います。
 また、「窃盗」については、捕まってから思うのですが、「何でまたやってしまったのだろう・・・」 といつも後悔しています。そんな自分が嫌になることも多々あります。こういう思いが「怒り」に繋がるのでしょうか?確かに自分自身に怒っていたと言えば、そんな気もするし、上記の様に、反省・後悔に近いような気もします。他の人はどんな「怒り」をもっているのでしょうか?
 手紙に書かれていた「犯罪を犯させる依存症という病気に『怒り』を感じたとしても、それは当然の怒りと言える」というのは何となく理解できます。しかし、「その怒りを、理性と犯罪へと反省でコントロールして行う依存症治療」の部分は、一体どうやって「怒り」をコントロールするのか、もしくは、コントロールして行くのかがいまいち分からないのです。プログラムを実践して行けば分かっていくものなのでしょうか?
 何て言えば良いか分かりませんが、自分のことを今までギャンブル依存症と思った事もなかったし、それが病気だなんて考えたことも無かったので、「怒り」に対してピンと来ないのかも知れません。でも、手紙の中の、癌患者が癌に「怒り」の感情を持つというのはよく分かります。まだ様々な疑問はありますが、パンフレットのプログラムを続けていきます。

 黒色ボールペンの調子が悪いので青色で書いているのですが、この青ボールペンも調子が悪いです。書いていてもインクが出ず、何度もなぞったりして読みにくい字もあり、ご不便をお掛けしますがご容赦下さい。所持金も知っての通り無く、刑務所で働いて貰える報奨金も少なく、未だボールペンの替芯が買えてないのです。文字を書いていて、こんなにイライラするのも何だか嫌ですね。前の黒ボールペンはもっと酷かったですから、今の黒と青はまだマシです。

 この手紙が届く頃は、もう4月ですね。今日は3/27(水)ですが、ここ○○は何日間か寒い日が続いています。先週は比較的暖かい日も多かったのに、今は冬に戻ったような感じです。そちらの横浜はどうでしょうか? そろそろ大通り公園の桜も咲き始めるのではないでしょうか?
 それと、柔軟は続けていますか?三日坊主はダメですよ(笑) と言いながら、私も自分自身の筋トレが、休んでしまったり・やったりで、面倒だなと思う日も多々あり、反省しています。
 4月からは、体育館ではなく外のグランドになり、外だと腕立てなど中々しなくなってしまうので、ランニングをメインに運動しようと思います。

 季節が変わり、春になります。また新たな思いで1年を過ごしたいと思います。お身体をご自愛しつつ、お仕事も頑張って下さい。また手紙を書きます失礼します。
                      草々
          平成25年3月27日(水)  A

Date: 2013/04/07/15:18:46 No.893

Re:収監者との文通

Aさんへの返書

A様
前略 
 お手紙、4月4日に届きました。いつも有り難うございます。
 4月4日と言えば、例年なら大通り公園や大岡川の桜が満開となり、春到来!!を実感させる時期なのですが、今年はと言えば、何ともう殆ど散ってしまいました。今年の横浜は冬が寒かった為に桜の開花が早くなったそうで、3月22日に早々と開花してしまい、その分散るのも早くもう葉桜になっています。
 
 さて、今回のお手紙では「依存症という病気への怒りを理性と反省でコントロールして行う依存症治療」でのコントロールの方法が今一、分からないと書かれていますので、これについて少し考えてみたいと思います。
 自分を苦しめ、破滅の淵へと追い込む病気に対して患者が怒りを感じるのは当然の事です。Aさんも、病気を癌に例えればよく分かると書いていますね。しかし、それがいかに正当な怒りだからと言って、ヤケになって、ヤブレカブレに病気にはむかって反撃しても病気は治ってくれず、逆に自分を傷つけるだけです。ギャンブル依存症の場合でも、その結果を反省し、理性に従って治療法を学び、学びを実践する事で初めて回復への道が開けるわけです。コントロールの方法とはその事で、それなしに、ただギャンブルを禁止するだけで依存症が治るものではありません。だからこそ例えば、最近の刑務所では、ギャンブル依存症の受刑者の再犯防止教育を実施しているのだと思います。
  
 それと、以前の私の手紙で、窃盗の常習も「盗癖」という名の依存症の可能性が高いと書きましたが、「盗癖」はWHOの国際疾病分類第10版:ICD10で「病的窃盗・盗癖」との病名で公式に病気として認定されています。だからこそGA同様に、盗癖患者の為の「KA」=「クレプトマニアアノニマス」という自助グループもあるわけです。
 治療法はギャンブル依存症と基本的には共通していますので、お送りしたパンフのプログラムの内容を「盗癖」と読み代えながら自分自身の振り返りをすれば良いと思います。

 いずれにせよ、「ギャンブル依存症」も「病的窃盗・盗癖」もWHOが認定する、つまり世界の医学が認定する正真正銘の病気ですので、病気としての対応が必要になります。つまり専門治療が必要なわけです。そして治療というのは、言うまでもなく病気と患者との間の闘い、場合によっては命をかけた闘いですよね。ですから、患者は自分自身が悪いのだと考えて自分自身を責めるのではなく、自分自身の一部に巣喰っている病気と闘うのが筋ですよね。この一般の病気では言う必要もないくらいの自明の話が、依存症の場合には未だよく知られておらず、本当なら病気と闘う自分の味方である筈の自分が悪いと思って自分を責めてしまうケースが非常に多いですね。患者のみならず周囲の家族などもそう思って患者に説教をしたり、喧嘩をしたり、時には暴力沙汰にまで及んでしまいます。でも本当は病気ですから、そういう方法では治る筈がなく、患者との地獄のような関係が延々と続いてしまいます。そうならない為にも依存症の真実を知って専門治療につながる必要があるわけですね。
 お手紙の中で、窃盗で逮捕されるといつも「何で、またやってしまったのだろう?」と後悔していたと書かれていますが・・・その「何で?」への答えは、「依存症が病気だから」と言えるでしょう。しっかり反省して2度と窃盗をしないと心に誓った自分とは別に、自分の中に棲みついている病気にまだ気づかなかったが故の疑問だったと言えるでしょう。つまり、依存症の場合「病気という客観的事実」が「手品のタネ」のように隠されているので、「2度と・・」と誓った筈なのに、「どうして・・・?」となってしまう分けです。お手紙の冒頭での「何で、勝っていた時に帰らなかったのだろう?」「何で、お金を全部使ってしまったのだろう?」等々の疑問への答えも、やはり「依存症と言う病気だったから」と言えるでしょう。
 以上の事をご理解頂いて、ギャンブル、盗癖の治療を続けて欲しいと思います。つまり当面の受刑生活の中では、パンフのプログラムと、この文通を続けて頂ければと思います。

 横浜は、昨日から今日にかけて「爆弾低気圧」とやらの通過で大荒れの天気で、今は空は晴れていますが突風を交えての強風が吹き荒れています。南風だとかで気温も上がり、少し動くと汗ばむような感じです。季節は少しずつ変わり行きますが、体もそれについて行けるようお互いに気をつけて、体調を崩さないようにしたいですね。
                       草々
          平成25年4月7日
          大石クリニック相談員 鈴木達也

追伸:
柔軟ですが、前回の手紙に書いたように始めてはいるのですが、まだ目にみえた効果は出ていません。焦らず気長に続けて、いずれ良い報告ができるようにしたいと思います。

Date: 2013/04/07/15:58:12 No.894