Cさんからの手紙
Cさんからの手紙
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及び 当掲示板No.555 以降Cさんとの文通参照
大石クリニック相談員 鈴木達也様
前略
こんにちは、Cです。
平成24年6月2日付のお手紙、ありがとうございます。「滑り込み、セーフ!!」とのお手紙でホッとしました。私はいつも自己嫌悪や自己否定をしますが、ある行動をする前に、その後の事を考えずに行うのが悪いのでしょうね!
犯罪も、行動する前の「これは犯罪だ !」、「こうすれば逮捕だ!」、「刑務所へ行ってしまう!」との思いにに従って行動すれば、後の結果は悪くならないのは知っているのに、自分の行動をいつも後になってから後悔するのは、「性依存症」のほかに精神的にどこか悪い所があるのではないのか?と過去にも思ったことが多々ありました。
刑務所内での自分の行動もそれです。後先を考えていれば懲罰にもならず、性教育も中止にならずに済んだのに!!と思い、考えてしまいます。
たとえば、鈴木さんが、後先を考えずに、今仮にアルコールを一杯だけ飲んでしまったら、一杯では足りずに、2杯、5杯、10杯・・・と杯数が増えて行くとどうなるでしょうか?恐らく昔の時と同じようになる可能性も出て来ると思うのですが、そう考えて、それを十分理解している鈴木さんだから、現実はそうはならないのですよね。つまり、鈴木さん自身の意志が強いのでしょうね。
私は、父親から「おまえは、意志が弱いんだ!!」と以前に言われたことがたびたびありました。この事を思い出して、今、考えて手紙を書きました。
依存症者は、自分自身の意志や脳の働きまで正常にしなければ本当に困った話です。どんなに科学や医学が進歩しても、依存症が回復する日は来ないのでしょうか?
仏教の教えには、空諦(くうたい)・仮諦(けたい)・中諦(ちゅうたい)の「三諦」(三諦)と言うのがありまして、たとえば、依存症は回復しないと見るのが空諦で、依存症は仮に回復するというのが仮諦、その中間の中諦は「回復する」/「回復しない」のどちらかに偏るのではなく、中間・中道が実相なのであると説かれています。つまり早く言ってみれば、自分自身の気持ち次第とでも言えましょうかね!! 回復しないと疑えば回復せず、回復すると信じる者は、時には努力次第で回復もする。この有無におよばず、偏らずの気持ちの中諦が肝心です。そのように考えた時に、自分は絶対に治してみせるとの気持ちが大切だと言うことになるのでしょう。
ですから、私も偏りの心をなくしたいと思います。今回の刑務所が最後であり、出所後は大石クリニックへの通院を頼りにして自分の依存症を克服できるように頑張る思いで前進したいと考えています。
話は変わりまして、神奈川新聞の金環日食の記事を保管して下さりありがとうございます。金星の日面通過も見れることでしょう。
それから、私の前回の手紙には天文講義の話は控え目にして、鈴木さんからの意見を聞くことにしたのですが、天文話はした方が良いか、しないほうが良いかの返事が無いため、今回は天文講義話はしません。
鈴木さんが今度私に返事を下さる時は問答式で何か質問して下さい。(性犯罪・依存症のことで)
それではこの辺で失礼してペンを置きたいと思います。鈴木さんもこの梅雨時にお身体を大切にして下さい。
草々
平成24年6月12日 C
↓返書
Date: 2012/06/20/12:01:58 No.766
Re:収監者との文通
Cさんへの返書
C様
前略
6月12日付のお手紙、有り難うございます。今度は、滑り込まなくても悠々「セーフ!!」でしたね。お手紙を嬉しく拝読しました。
<意志について>
刑務所内での今回の一件を乗り越えて月一回の文通が続いていますね。治療と社会復帰の為に自分自身に誓った事をしっかり実行している姿に、私はCさんの意志の強さを感じています。Cさんは元々意志の強い方なのだと思います。天文学や仏教などについて、普通の人には遠く及ばない知識を持たれているのも勉強への強い意志があったればこその事と思います。その元来は意志の強いCさんが、なぜ性的問題行動や犯罪を止められなかったのか?と言えば、それは性依存症という病気の仕業(しわざ)だったと言えるでしょう。元々どんなに意志が強い人でも一度この病気にかかったら、依存を止めようという意志の力だけでは病気に打ち勝つ事ができません。
ドイツのハンブルグにエリートアル中専門の依存症専門クリニックがあります。そこの患者は大企業の経営者や、大学教授、医師や弁護士、中央の政治家といった、いわば社会的指導層に所属する人々です。つまり、人一倍のの勉強、努力の末にその社会的地位を獲得した、元来は人一倍意志の強い人々なんです。そういう人達でもこの病気にかかると他の一般の依存症患者同様の症状を示し、仕事や家庭生活に支障をきたし、治療が必要になるわけです。つまり、彼ら本来の強い意志をもってしても依存症という病気に太刀打ちできずに酒を飲み続けてしまうのです。神様は、元々人間の意志を依存症に勝てるほど強くはつくってくれていないわけです。だからCさんも自分の意志が弱いから性依存・犯罪を繰り返してしまったのだと自分の意志を嘆いたり、自己否定や自己嫌悪に陥る必要はないわけです。病気だから、自分を責めるのではなく治療を継続すれば良いわけです。
<依存症と治療について>
お手紙で、自分は後先を考えずに行動してしまうから同じ犯罪を繰り返してしまうのだと書かれていますが、この行動のコントロール障害も依存症の主要な症状の一つです。「性犯罪に走る」という言い方がありますが、行動のコントロール障害は余裕のない走りの形で進行するようです。性犯罪への何らかの切っ掛け(引き金)で脳内に犯罪への病的欲求が湧き起こります。その瞬間に理性が麻痺して、過去への反省や、もう決して再犯を犯さないという決意や誓約の記憶が脳内でかすんでしまい、そのまま欲求の濁流に押し流されるままに犯罪行動に走ってしまいます。この間の思考の流れを「自動思考」と言いますが、それは短時間の中で抑制が効かないままに自動的に進行してしまう思考なんです。Cさんが後先を考えずに行動に走ってしまうのは、犯罪への衝動の中で、後先の事を考えないと言うより、考える前に行動を起こしてしまうというのが真実なのではないでしょうか? そして、失敗してから後先の思考を思い出して後悔するわけです。いかがですか? Cさん自身の過去に「自動思考」の心当たりはありませんか?
では、どうすれば?と言えば、「自動思考」の予防法としての「錨の綱」とか、「引き金」以後の段階で、それを引かない為の「思考ストップ法」といった方法があるのですが、それらについて書くと長くなるので次回以降の手紙で書くことにして、まずはCさん自身の過去に「自動思考」がなかったか? じっくり振り返ってみて頂ければと思います。
ここで、Cさんよりの注文である私からの質問をさせて頂きます。
1) Cさんが性犯罪に走った時の切っ掛け(引き金)は何だったのでしょうか? 以下のイ~ホについて思い出してみましょう。
イ;人との関係、ロ;場所 ハ;時間 ニ;状況 ホ;感情
2) 「引き金」以降の思考・感情→行動→結果・好ましい結果
・好ましくない結果
この「自動思考」のプロセスは具体的にどのように進行したのでしょうか?
<文通での天文学講話:提案について>
先ずは私の体験談から入ります。私が依存症患者としての断酒治療を始めた時の最初の課題は、昨日までの大量飲酒の時間を他の何で埋めるのか?でした。
私は学生時代に文学部・独文学を専攻しました。それを思い出して、ドイツのアルコール依存症事情(その現状、治療状況)をドイツの誌・紙類に探ってみようと思い立ちました。頭の中に何とか残っていた文法の枠組みと辞書を頼りに時間をかけて翻訳し、それを当時全盛だったワープロを使って冊子にしてドイツ情報を周囲の仲間に伝えるといった事をしました。日本ではまだ誰も知らない最新の治療情報を伝えて仲間に喜んでもらえるというのは本当に楽しい仕事でした。そして何よりも、時間がかかる作業だったので飲まない時間作りという意味では最適だったと思います。
さて、この私の体験から、Cさんに一つの提案をさせて頂きたいと思います。
以前のお手紙で、出所して社会復帰したら母校の小学校に行って子供達と天文学の話をする場を作りたいと書かれていました。そこで、過去の性犯罪に走っていた時間を子供達と話をするための準備の時間に代えるという提案です。その準備の手始めに、先ずは私を小学生だと思って天文学の資料作りをしてもらえないでしょうか? そうですね、さしずめ水・金・地・火・木・土・天・海・(冥)の話あたりからお願いします。天文学については私は小学生と全く変わりませんのでそれが一番良いと思います。そして、それがCさんの性依存症の治療に役立てば一石二鳥だと思います。今後の文通ではそういった内容で天文学の話をして頂ければ嬉しいです。
色々と書き連ねましたが、今日はこの辺で失礼します。梅雨空に台風4号・5号が襲いかかかり、ちょっとしんどい気候が続いていますが、お互いにそれに負けない心と身体で過ごしたいと思います。その為にもお身体に気をつけてご自愛下さい。また来月のお便りを楽しみにしています。
草々
平成24年6月20日
大石クリニック相談員 鈴木達也
Date: 2012/06/20/12:23:17 No.767