断酒美人アメシスト

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断酒美人アメシスト T

泥酔した私は、母が作ってくれたスラックスを履いたまま粗相をしてしまいました。24歳の時です。私はその頃、既にアルコール依存症だった筈です。私は、現実逃避の為にお酒を飲んでいました。問題を直視せず、その場をやり過ごす事を何度も繰り返していました。「何故そんなになるまで飲むのか?」と聞かれても、うまく答えられず、考える事自体をやめてしまっていました。
あれから10年以上断酒していて、少しずつ分かってきた事があります。小さい頃、繰り返し見た怖い夢があります。誘拐されそうになって私は大声で母に助けを求めますが、母は気付かずに家の中に入ってしまう、という夢です。
断酒して暫く経って、私は母に見捨てられる不安を抱えてたのだと気付きました。高校生の時、よく友達から「過保護だ」と言われましたが、その時の私は、釈然としない思いでした。母は私の「転ばぬ先の杖」であり、常にあらゆる問題は母によって解決されていたのです。思春期には反発した事もありましたが、その都度、母から機関銃のようにまくし立てられ、私は結局、言いなりになっていました。私が困難な問題にぶつかり、泣き言を少しでも言おうものなら、とても強い口調で叱咤激励されます。それは、気持ちが弱っている私にとって、追い打ちをかける様に
辛いもので、徐々に私は母との距離をおくようになっていきました。ずっと優等生だったので、人からよく見られたい気持ちがあり、他人に弱みを出してこなかったように思います。
成人してお酒を飲むようになってからは、色々な事に対して、「どうでもいいや」と言う気持ちが出てきました。就職後も、人からよく思われたいとストレスを溜め込み、酒で紛わせていました。段々と酒量が多くなり、両親が心配し、「お前は自分の事だけを可愛がっている。稼いだ金で飲んで何が悪いと思っているんだろうが、人様にそんな姿を見られたら恥ずかしい」と、毎晩の様に私を叱っていました。何度も再飲酒を繰り返し、結局、三度も入院してしまいました。両親には口で言い表せない程の迷惑をかけ、何度も裏切りましたが、それでも両親から見放される事はありませんでした。
平成19年の3度目の退院後、「週に3、4回、ミーティングや例会に行く事と、家事や育児を手伝って欲しい」と両親に伝えました。両親は私の真剣な様子を見て快く引き受けてくれました。私は入院中に、「酒に頼らない為に、今までの考えを変える」という事に気付きました。家族との生活でイライラや怒りが出てきた時は、トイレに入り、一人で色々考えました。気持ちを落ち着かせ、落ち着かない時でも「飲まないぞ」と気持ちを引き締めていました。一年、二年経ち、酒無しの生活を送る事によって、徐々に家族と普通に接する事が出来る様になり、家族の雰囲気も良くなりました。私の両親に対する考え方も、大きく変わりました。母の言う事は素直に聞いてみようと思えるようになりました。一方、例会では家庭の愚痴を吐き出し、頭の中を整理する事が出来るようになりました。徐々にですが、「母の全てを受け入れてみよう。人は変わらないが自分は変えられる」「自分で変えられるものと変えられないものがあるから、それを見分ける力を付けよう」といった事を例会の中で学ぶ事が出来ました。
今では、母はずっと私の事を愛してくれている、一生懸命、子育てしてくれたのだと思います。私はこれまで、母や家族に沢山の迷惑をかけ心配させてきましたが、今は家族と共にいることがとても幸せだと感じています。これからもずっと、今の幸せが続きますように、一日断酒を継続したいと思います。