収監者との文通 Mさんからの手紙~②

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収監者との文通

Mさんからの手紙~②(2往復分)

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前略
 手紙の返信ありがとうございます。まだ内容は拝見しておりませんが、届いた事だけ確認させて頂いています。私事ですが、先日、私の働いている工場で私自身が両足にヤケドを負ってしまい、作業規律違反の為の取り調べを受けるため隔離されています。原因は、作業時間に間に合わせるのに焦ってしまい、防護着を不十分に着けていた事。また、報告をするのを忘れてしまった事です。
 怪我をして、真っ先に頭に浮かんだのは両親に心配をかけまいとの思い、それに、このくらい大丈夫だとの思いでした。又、炊場の人員を今削っていて、人員不足で休日もままならない状態で、私の担当するお茶係は休憩も取れない場所で、私が抜けると大変で皆に迷惑がかかると思いました。炊場の正担当官や副担当官の方々にも毎日気を使わせて心配をかけたくないと思ってしまい、報告できませんでした。それで、2日ほど過ぎてから足が腫れて赤くなり痛みが出て来てしまい、班長を通して報告したのですが、そういう事で今は取調独居で懲罰待ちという感じです。
 懲罰になったら、3類から降類し、手紙を出す制限も厳しくなってしまいますので、もしかしたら返信が遅れてしまうかも知れません。その時は申し訳ございません。とにかく今はそういう状況なもので悪しからず。
 両足のヤケドは大したことはなく、全治2~3週間で治るそうです。今回は折角ここまで一生懸命働いて来て、我慢して真面目に取り組み、半年間無事故で無事に過ごして3類にもなったのに、信用も無事故も失ってしまい、今はそれが一番辛いです。私は焦ってしまい、ケガの無い十分に安全な作業ができなかったし、その時に直ぐに報告しなければいけなかった。私の不注意です。決定的に皆に迷惑をかけてしまいました。大変に申し訳なく思います。親にもまた迷惑をかけてしまいました。これを機に焦らず、正確に、安全に作業をしないとせっかく積み上げて来たものを失ってしまう事を学びましたので、2度とこんな思いをしたり、両親にも同じ思いをさせないようにします。また1からやり直し頑張りたいと思います。鈴木さんにも心配をおかけし申し訳なく思います。

 返信の手紙が手元に届きました。ありがとうございます。真の反省→克服の努力→回復・更生、これを目標に考えていますが、真の反省がとてもむづかしいと思います。心で分かっている部分もあります。でも、一つに繋がらない時もあります。学習ノートでその見失う時を思い出してけっして忘れぬようにと毎日必ず読んでいますが、中々日常の生活で生きてこない部分もあるので自分が恐ろしい時があります。その場では思い出せないというか、思い返すと、あっと思うところもあり、今は不安になる部分があります。このまま変われないのかなぁと。今回のケガもそうです。落ち着いてと思っていても、あわてて、しかもケガまでしてしまった。心配かけぬようにと思っていても逆に心配をかけてしまった。自分の頭がどこかおかしいのでは?と思ってしまう程に忘れ易いのか、記憶が入って行かないのか?
 もう2度と違う過ちを犯し、人に迷惑をかけたくないし、両親にも安心してもらいたいと思っています。今一番大切な人達です。
 「どんな結果にも必ず原因がある」と思い。では、悪を少しでも慎み、善い事をコツコツと積み上げ、やり続けようと思っています。結果的に、今回は一生懸命作業し頑張って来ただけに辛く思いました。ショックと言うか。だから社会に出て自由になった時、誘惑が沢山ある中で、私は今の気持ちを忘れずにやって行けるか不安でなりません。心が折れたり落ち込んでいる時に立ち直れるか、都合が悪い事が起きても逃げずに歯止めをかけられるか、ヤケにならないか、もう駄目だと心があきらめないか、と不安です。その時分かっていれば止めることができますが、私の場合は、その時に頭に入っていないというか、忘れてしまっている状態です。言われて思い出すというか、そうなんだって感じで。
  全部が全部ではないのですが、それが不安でなりません。万引きがダメとか、薬物がダメとかはわかるのですが・・・だから不安で毎日ノートを読んで頭に叩き込んでいるのですが、善い方法があったら教えてください。
 あと、治療プログラムの件ですが、私の場合刑期が長いので、最後の方で受けることになります。私も参加したいので、そちらは追って受けます。色々と有り難うございます。 鈴木さんも身体に気をつけてお過ごし下さい。 
                   草々
                       M   

Date: 2013/03/25/11:06:18 No.886

Re:収監者との文通

Mさんへの返書

M様
前略
 お手紙、届きました。有り難うございます。炊場でのお仕事で火傷を負われたそうで、驚きました。その後の経過はいかがでしょうか? 無理せず、焦らずに養生してください。
 
≪今の気持ちを忘れないために≫ 
 お手紙の中で、「社会に出て自由になった時、誘惑が沢山ある中で今の気持ちを忘れずにやって行けるか不安でなりません。・・・私の場合は、その時に今の気持ちが頭の中に入っていないというか、忘れてしまっている状態です」と書かれています。「私の場合は・・」と書かれていますが。依存症という病気は「忘れる病気」とも言われており、Mさんに限ったことではありません。依存症という病気がもつ病的欲求という症状が患者に過去の反省を忘れさせるが故に患者は同じ欲求による同じ過ちを繰り返してしまうわけです。従って、犯罪を含む同じ過ちを繰り返さない為には、その原因である依存症の治療が不可欠になるわけです。そして、治療を継続する事それ自体に病気とその克服への決意を忘れさせない力があります。決意を忘れてしまうのは、決意を心の中だけのものにしてしまうからです。 ある目標の実現を決意したら、その目標にいたる方法を実行し続ける必要があり、その実行が最初の決意を忘れさせない力になり、病的欲求に対抗する力になります。頭の中だけでの決意は薄れ易いものです。それは目に見えず、味も、匂いもしませんから日常の忙しさの中でつい忘れがちになります。それを忘れない為には、目標への道を歩み続ける行動が必要だと思うのです。日々の行動が、日々脳に決意を記憶させ続けると言って良いでしょう。もっと正確に言えば、日々の行動で日々記憶をやり直し続けると言って良いでしょう。これなら1年、2年、3年・・・と最初の決意を忘れずに記憶し続ける事が出来ますよね。何しろ、毎日行動で決意を脳に記憶し直すわけですから。依存症者の治療に繋がらない決意の殆どが、いわゆる「三日坊主」に終わってしまう原因は、行動・治療に繋がらないが故の決意の忘却作用にあると言って過言でないと思います。
 ただし、Mさんの場合には現状では専門病院への通院や外部の仲間との触れ合いが出来ませんので、当面は出所までこの文通を続け、また刑務所内での再犯防止教育などの機会がありましたら参加されるようお奨めします。その中で、出所後の誘惑の多い生活への不安も自然に解消されると思います。

≪私の体験 ≫
行動による記憶、それとプラス思考について私自身の体験から少し書いてみたいと思います。多少長くなるかも知れませんが、お付き合い頂ければ嬉しく思います。
 酒を原因としての失業状態にあった私の依存症治療は、毎日のアルコールデイケア通院と夜のアルコール自助グループ(AA)通いから始まりました。つまり、日曜日以外の毎日、朝から晩までアルコール治療にスッポリと浸かり込んだわけです。当時の私は、アル中飲酒で文無し状態に陥っていた為、毎晩のAA通いの交通費も無く、会場までの数キロの道を歩いて回っていました。1年半後にようやく職を得て実家での居候生活を卒業したのですが、その時、俺はどの位の距離を歩いたのか?と電卓で計算したら、日本列島をほぼ縦断する距離になっていました。今思うにAA会場までの一歩一歩が私の脳に 「お前はアル中だから、断酒の為にAA会場に向かって歩いているのだ !」との思いを無意識のうちに刻み込んでいたのだと思います。それがあったから、自分の病気を忘れずに治療を継続出来たのだと思います。もし、そういう一歩一歩の行動が無い、頭の中だけでの決意だったら、それは遅かれ早かれ煙のように消失していたでしょう。
 次にプラス思考について考えてみたいと思います。失業という一見忌まわしい現実の裏側にデイケア通院治療という人生の再出発がありました。つまり失業していたからこそ、毎日の一日がかりの依存症治療が可能になったわけです。通院で事実上の入院治療をしたようなものです。昔から「ピンチの裏にチャンスあり」とか「失敗は成功の基」、「雨降って地かたまる」・・・等々の色々な諺がありますが、人生で厳しい局面に陥った時こそ、その厳しさの裏側にある現実打開への道を探し出すプラス思考が大事だと思います。
 私自身も、失業したまま専門医からアルコール依存症診断を受けた当初は、「とうとう、アル中宣告か !! 俺の人生、これでおしまいか?!」との思いが頭をかすめたのは確かでした。しかし、断酒生活の数ヶ月が過ぎる内に、職業的拘束から解放されている自分に気がつきました。つまり、「迷惑をかけていた実家の母には申し訳ないけど、これは第2の青春時代ではないか ?! 」という思いを得たわけです。それなら、はるかいにしえの青春・学生時代に戻って、そこから再スタートしようとの思いに至りました。
 私は学生時代に文学部でドイツ文学を専攻しました。ですから第一外国語は4年間を通してドイツ語でした。それを思い出したわけです。ドイツと言えば伝統的なビールの国・ビールがお茶代わりに飲まれているお国柄ですから、さぞかしアル中さんも多いことだろう。同時にドイツ語と言えば誰もが先ずイメージするのが医者のカルテであることに示されているように伝統的な医学の国です。しからば、ドイツのアル中事情は?どのくらいの患者が居て、どんな治療をしているのだろうか?と俄然興味を深め、ドイツのメデイアにそれを探って見ようと思い立ちました。何せ職業に縛られていませんでしたからドイツ誌と辞書の世界につかり込む時間もタップリあったわけです。そして、ドイツメデイアは私の期待に正面から応えてくれました。当時の日本では依存症専門医も含めて誰も知らなかった飲酒欲求抑制剤の話、日本の断酒率の2倍の成果を挙げている治療法などの情報をドイツメデイアから得て、それを断酒仲間に伝えて随分と喜ばれました。それは又現在の依存症相談員としての仕事にも役立っています。「失業アル中生活の裏側にこんなに楽しい生活があったのか !! 」と率直にそう思ったものです。
 話が大分長くなりましたが、Mさんも受刑生活中だからこそ出来る事、仮に懲罰を受けたとしても~懲罰中だからこそ普段は出来ない何かを考えるヒントを得られればとの思いで書かせて頂きました。参考になれば幸いです。

 一日一日を大切に、そして体に気をつけてお過ごし下さい。今回はこの辺で失礼します。またのお便りを楽しみにお待ちしています。
             
         大石クリニック相談員 鈴木達也

Date: 2013/03/25/12:26:00 No.887

Re:収監者との文通

Mさんからの手紙

前略
お手紙有り難うございました。ご返事が遅れて申し訳ありません。
火傷の件は心配をおかけして済みませんでした。今はすっかり良くなりまして、無事に炊場に戻り今まで通り作業を続けてやれることとなり、一生懸命、安全に作業をしています。私の処遇については、「戒告」という厳重注意で済み、一番軽く、類も3類のままで、半年間の「無事故」のみなくなりましたが、まずは一安心しました。傷跡は少し残りましたが、もう大丈夫です。
<今の気持ちを忘れないために>
 ご返事ありがとうございます。私は欲求があるけれど、これは性に対してだけではなく「恋愛したい」、「出来れば結婚したい」と思って女性に接したり、探したりしていました。その時に度を越えてしまう一線があり、今までは自分に負けて「もういいや」、「大丈夫だろう」、「もう何でもいいや」と思ってしまい越えてしまいました。今後はこのラインを2度と越えることはないですが、「恋愛」や「結婚」となると相手がいることなので多少は不安な気持ちになります。忘れるのはこのラインのことではなく、日々の生活の中での人間づき合いのことです。正直、人とつき合うのがあまり得意でなくなって来ました。何故なら、一度刑務所に入ってから周りの人の目が気になるので、この人も私の過去を知っているのかとか色々と考えてしまって人と距離を置きたくなってしまうのです。また、前刑は○○刑務所にいたのですが、その時のイジメや言いくるめた者勝ちみたいなのがあり、それが身について、直ぐに言い合いや喧嘩になってしまったり、仕事でワンマンになったりして人が離れて行き、結局は独りきりになり、ヤケを起こし、心が折れ、もういいや、もう駄目だという状態になり事件を犯してしまうのです。それで最終的に忘れてしまっているのです。私には後悔しか浮かばないです。
だから、二度とくり返さない為にノートに書き、毎日毎日見て頭にしっかりと入れ、今のこの生活で自分を変えて、元の自分に戻り、コミュニケーションのとれる人間になりたい、真面目な人になりたいと思います。忘れることなく実行し続けたいと思う。他にも、前妻との間に色々とありました。絶対に浮気などしないと思い込んでいたけど、裏切られ人を信じられなくなった。トラウマになり、心の中で色々と割り切ってしまっていた。特に女性に対して悪い風にしか思わなくなってしまった。どうせこの人も、どうせあの人も遊んでいるんだと思い、そういう遊んでいる女性と遊ぶ感じでした。それでそのまま少しづつ強引になってしまい、事件を犯し、くりかえしてしまった。 
自分としては、ちゃんとした恋愛や結婚相手を探していたが、そういう相手はできず、常に裏切られることしか考えておらず、それならば遊んだ方が良いと思ってしまった。ここでもあきらめや信じられないなど、様々な妥協などがあったのだと思う。
今の気持ちは、もう2度とくり返さないようにと心から思っているし、願いでもあります。今までは訳も分からずというというところもあったのですが、今回は少しずつ分かって来ました。今度こそ真面目にコツコツと善い行いを繰り返し行って行き、人を憎まず人を信じ。敬う努力をし、そういう態度で人と接して行きたいと思う。「もう駄目だ」とあきらめないで、自分に負けないようにしたいと思います。
 お身体大切になさってください。                                                       草々
                       M

Date: 2013/03/25/14:55:32 No.888

Re:収監者との文通

Mさんへの返書

M様
 お手紙、有り難うございます。火傷が治ったそうでよかったですね。安心しました。処分も戒告で済み、3級も維持できて、定期のお茶会とか映画鑑賞会などにも今まで通り参加できるわけですよね。私もこういう仕事を続けてきて、刑務所内の事についても多少は通じてきたかななんて自分では思っています。

 さて、お手紙の中で、自分の前科への人目が気になって他人との間に距離をおくようになり、人間関係を上手くつくれなくなったと書かれています。又、前刑での言いくるめた者勝ちみたいな思いが身について、対人関係が上手く行かなくなり、そこから来る自棄心から冷静な時の反省を完全に忘れて犯罪に走っていたとも書かれています。だからこそ、今の冷静な思いを忘れないために、反省をノートに記して、毎日毎日繰り返しそれを読み頭に刻み込んでいるとお手紙に書かれています。それはとても善い事だと思います。毎日くり返し読めば、忘れようと思っても忘れませんからね。このノート作戦は、これからも継続して欲しいと思います。
 それと、忘れないと言うか、思い出すためのもう一つの方法について考えてみたいと思います。先日、やはり大石との文通を続けているある受刑者の方が手紙にこんな話を書いていました。「人は、物事を意識して考えているだけでなく、大脳基底核の働きによって、無意識のうちにも色々な事を考えているそうです」と書かれていました。私、その文面を読んで、なるほどと思いました。それはアルコール依存症者としての私自身のミーテイング(仲間との体験談の交流)体験からの思いでした。ある日のミーテイングである仲間が、「酒を飲んでいた頃、職場で上司から注意されたことに逆上して、翌日15年勤めていた職場を電話一本で辞めてしまった」との体験談を話しました。その話が私の頭の中に眠っていた私自身の同様の体験の記憶を呼び覚まし、飲酒中の依存症者の短絡思考という共通した症状を思い、自分自身の依存症を改めて確信して、それが断酒への動機を改めて強める結果につながったと思います。その時、仲間のその体験談を聴かなかったら、私自身が職場での勤務中の常習飲酒を上司に注意されて、8年勤務した職場を注意の翌日に上司への口頭伝達のみで辞職してしまった過去を改めて思い起こすこともなく、又、改めて断酒への動機を強めることもなかったと思います。つまり、大脳基底核による無意識思考の中に眠っていた過去の辞職記憶が仲間の体験談によって呼び醒まされたわけです。その記憶は大脳基底核によって記憶倉庫に静かに眠っていたわけです。 
 Mさんのお手紙の中で、自棄になって事件を起こした時には過去の反省を最終的に忘れていましたと書かれていますが、同じ依存症者の共通体験を聴きミーテイングに参加し続ける事によってその「忘れ」を防止する事ができると思います。過去を完全に忘れているわけではなく。記憶が眠っているだけで、仲間の共通体験が目覚まし時計の役割を果たすのだと思います。
 ですから、今の反省を忘れない為にノート作戦を継続し、出所後誘惑の多い一般社会に出て本当の闘いが始まってからは、是非専門治療につながりつつ、同じ依存症者とのミーテイングに参加されるようお奨めします。
 又、お手紙の中で、「・・・自分を変えて、元の自分に戻り、コミュニl-ションのとれる人間になりたい、真面目な人になりたい」と書かれています。Mさんのそのお気持ち、私もよく分かります。依存の種類は違っても、周囲の人から離れ、孤立する病気という意味ではどの依存症も共通しています。私も、依存症の進行の中で、職場で白い眼で見られ、最後には自分から辞職し、その後妻からも別居を言い渡された体験をしています。そういう意味でも、仲間とのミーテイングで聴き・話す共通体験に共感しあい、絆を深めあいながらコミュニケーション力を回復させるのも大事な課題だと思います。
 最近では、刑務所内でも、再犯防止の為に依存症受刑者を対象とした依存症セミナーやミーテイングが行われていると耳にしておりますので、もしそういう機会がありましたら、参加してみてはいかがでしょうか。
 長くなりますので、今日はこの辺で失礼します。どうぞ風邪などひかないようお身体をご自愛ください。次のお便りを楽しみにお待ちしています。
                      草々
          大石クリニック相談員 鈴木達也
                                            

Date: 2013/03/25/15:45:25 No.890