収監者との文通 Bさんへの返書

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収監者との文通

Bさんへの返書

B様
前略
 ご無沙汰しました。1月4日付のお手紙を頂きながら、中々ご返事を差し上げられず申し訳ありませんでした。

 Bさんは、ご自分を最低の人間とする一方で、しっかり反省し更正の道を歩もうとされています。「自分は最低の人間」との思いを自己否定・自己嫌悪感としてではなく、あくまでも反省の糧としながら更正の一歩一歩を歩んで頂ければなあと思っています。

 以前のお手紙で「精神対話士になりたい」とお書きになっていましたね。性嗜好障害(性依存症)の治療と回復を前提として精神対話士になるならば、Bさんならではの対話士になれると思います。
 
 明暗両面での依存症先進国であるアメリカの「明」の側に目を向けると、依存症からの回復者自身がその体験を活かしてカウンセラー(ピアカウンセラー)になったり、回復施設の設置者や責任者になっている例が沢山あります。カウンセリングを受ける側も自分と同じ体験を持つカウンセラー(対話士)に親近感を持ち、回復へのエキスを吸収する事ができます。Bさんもそんな精神対話士になれれば良いですね。「雨降って、地固まる」とは正にこの事でしょう。
 
 今大石と文通している受刑者(依存症者)の皆さんの中には、刑務所内で通信教育を受け簿記3級に合格して、現在2級を目指して勉強されている方が居ります。この先の出所後も勉強を続け簿記1級から更に公認会計士にも挑戦したいとのことです。刑務所内でも(仮にBさんが実刑になったとしてですが)真面目に務めれば種々の通信教育も受講できるようなので、更生の中身として、そんな通信教育にも目を向けてみてはいかがでしょうか。そういう「勉強」という文字の裏側には「更生」という文字が書かれています。
 勉強→更生の道は長い年月がかかる、ある意味では困難な茨の道ともいえるでしょう。しかし、だからこそ、その道を歩み続ける姿の中にこそ謝罪が形となって被害者の目に見えて来ると思うのです。謝罪文で、どんなに心底から「申し訳ありませんでした」と書いても、目に見える限りでは、それは11の文字に過ぎません。一方、年月をかけて困難を克服して更生の道を歩み続ける姿は被害者の目に見え、心に届く謝罪になると思うのです。お手紙で「被害者にどういう謝罪ができるか分かりません」とお書きになっていますが、Bさんは既に大石と繋がり、依存症の治療を始めた事で目に見える一つの大きな謝罪を始めていると言えるでしょう。
 依存症治療を続け、世の人々に貢献する為の勉強を続け、更生の道を歩み続ける事で、いつの日にか自分を許せ、被害者から、社会から許される日が来ることでしょう。「自分を許す」とは決して反省を忘れる事ではありません。確固とした反省を前提としてこそ自分を許せると思うのです。

 話は変わりますが、妹からメールが来ました。妹はピアノの講師をしているのですが、メールの中で「私は、ピアノのレッスンを通して、才能は天性のものでなく、環境の中で生まれる意欲的な訓練と、その繰り返しの中で作られ、そういう才能は例外的な天才のみにではなく、全ての子供達に備わっていると、子供達に教えています」と書いています。この話には、依存症の治療や回復においても、又、更生の道においても、一脈通じる原理というか法則があると思うのです。罪を犯したが故の環境の中で反省と更生への意欲が生まれます。その意欲に基づいて、種々の勉強も含めた受刑生活を送る中で更生・謝罪の道が拓けて行くことでしょう。

 とりとめなく長々と書いてしまいました。今日はこの辺で失礼したいと思いますが、もう暫く寒い日が続くようです。くれぐれも風邪などひかぬようご自愛下さい。又手紙を書かせて頂きます。今日はこの辺で失礼します。
                     草々

       平成23年2月24日
        大石クリニック相談員 鈴木達也

Date: 2011/02/23/23:20:04 No.628