生きていること: 大石CLリカバリー職員 中坪正生

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<この寄稿文は、横浜断酒新生会機関誌「かたらい」創刊50号記念号より、同会および筆者の了承を得て転載しました>
「生きていること」
横浜断酒新生会港南支部 中坪 正生
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平成二十三年五月十八日未明、私は突然下腹部に激痛が走りました。四月以降から空腹時に痛みを感じていて食事を取ると痛みが治まると言う現象があり十二指腸潰瘍が再発していることを感じていました。
 掛かり付けのお医者さんで貧血状態を指摘されていてすぐに入院治療が必要な状態でした。そのお医者さんに、紹介状を書いて頂き、採血の結果のコピーまで持たされていました。
 救急車で搬送されましたが、私の症状から腹膜炎を併発していることを察した救急隊員は夜間緊急手術の出来る病院へ搬送してくれました。
 病院側では受け入れ準備がすべて整っており「CTスキャン」のみでいきなり手術に入りました。手術時間約三時間とのことでかなりの大手術だったようです。紹介状がなかったらこんなに手術がうまくいく筈もなく、ひょっとすると私の命は助からなかったのではないかと思います。手術後二週間で退院しましたが、貧血状態がなかなか改善されずに困りました。その後七月中旬に再入院することになってしまい結局退院できたのは、九月一日でした。
 それはさておき、今回私の命を救ってくれた妻には感謝しています。あの時妻がそばにいなかったら私は今頃生きていなかったと思うとぞっとします。
 私は家族に三度命を救われています。最初は平成七年三月でした、やはり十二指腸潰瘍でこの時は洗面器二杯の吐血をしてやはり救急車で病院へ運ばれました。この時は腹膜炎を起こしていなかったので手術は行われませんでした。この時は長女が救急車を呼んでくれて一命を取り留めました。
 二度目は平成二十年正月でした。私の連続飲酒が原因で家庭内が崩壊寸前でした。その危機を救ってくれたのが次女の結婚話でしたので、この話をきっかけに私はアルコール専門病院へ入院することを決意し退院後横浜断酒新生会へ再入会することになりました。退院から九ヶ月後次女の結婚式へ招待されましたが、アルコールには、次女の配慮で一切手を出さずに済みました
 それ以後も三年お陰様でアルコールには手を付けないで済んでいます。四年前断酒していなかったら今回の入院も考えられなかったと思います。多分孤独死をしていたのではないかと思っています。
 家族のいらっしゃる方、家族を不幸にすることだけは止めてください、家族はあなたを決して見捨てるこ
とはしません。私は三度も家族に命を助けて貰っていますので、これからも命の続く限り家族を大切にしていきたいと思っています。実は四年前アルコールが原因で職場から追放されそうになりましたが、断酒がきっかけで職場に踏みとどまることが出来ました。おかげさまで平成二十二年夏に無事定年退職することが出来ました。定年まで見守っていてくれた当時の仲間や今回の入院生活で職場復帰をずっと待っていてくれた仲間にも感謝したいと思います。