収監者との文通 Oさんからの手紙

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収監者との文通

Oさんからの手紙

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前略
 9月13日付のお手紙18日に手元に届きました。本当に有り難うございます。
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 鈴木先生からのお手紙を読ませて頂きました。私は以前、アルコール依存症と性依存症とは全く別のものだと思っていました。手紙の中の「AA」は名前だけはよく知っています。活動の一部は知っていますが、基本原理は初めて目にしました。
 
 「君は自分一人の力だけでは断酒する事が出来ない。
  しかし君は自分自身で断酒をしなければならない」

 この基本原理の言葉を一部入れ替えれば、私のような性依存症者にもハマる言葉だと思います。確かに私自身ひとりで努力して来ましたが、行動を止める事は無理でした。でも絶対に止めなければならない、それも私自身が。鈴木先生から初めて届いた手紙にも書いてありましたが「共通している面が多い」です。それがやっと解りました。この自助グループの活動は、同じ依存症者達が同じ土台の上に立ち、辛さを共有して進んで行く事で依存症に勝利して行く活動なんですね。どこかの有名な言葉ではないですが、『一人はみんなの為に、みんなは一人の為に』 このように思えました。
 それと、私の知っている性依存症の医療機関が榎本クリニックさんと大石クリニックさんの2ヶ所しか知らなかったのですが、全国に2ヶ所しか無いのには本当に驚きました。これでは認知度が低いのもわかります。確かに胸を張って「オレは性依存症だ」なんて言える病気ではないので、みんな心の中に閉じ込めて生きているんだと思いますし、私がそうでした。
 私自身、あのコピー紙を見なければ今も変わることなく、先の見えぬまま刑務所への出入りをくり返すことになったことでしょう。ネガテイブな事を書いていますが、この文通のお蔭で前を見て歩くことができました。

 =過去の自分と今の自分=
 
 私は、この病気になったと思われる時から現在の4度目の懲役まで、我慢すれば何時かは止められると考え、思い込んでいました。最初の内は逮捕・拘留され、出たその日に犯行を起こしていました。多分その時は「今度は見つからないようにやろう」などと思ってやっていたと思います。
2度目の逮捕・拘留の時は拘留中は「もう止める」と決めての出署後の次の日に犯行を起こしました。「どうせ、直ぐ出してくれるんだから」とそんな気持ちがあったからガマン出来ずに何度も同じ行動をとっていたのだと思います。 その頃だったか、仕事の合間に犯行を繰り返して、移動の時間の中に犯行時間を入れ込んで、これなら何分時間があると計算していました。仕事が職人になった頃は時間を作る事も自由になって・・・そして初めての受刑生活に。
 「今度こそは止めないと、又、刑務所に来てしまう。こんな嫌な思いをして、家族にも辛い思いをさせてしまい、頑張って気をつけながら生活しよう」と思いました。でも病気だという認識はなく、危ない場所は避けて生活しようとしばらく頑張っていました。自分で意識しながら行動していましたが一ヶ月ももたない形で犯行をしてしまいました。あとは以前と変わる事なく、毎日の日課となってしまいました。
 過去、何度もスリップして、同じ事の繰り返しをして4回目の刑務所で初めて病気と解り、本当に気持ちが楽になりました。今まで本当に悩み、考え、どうしても分からなかった方程式が病気というキーワードで全部解けました。その為か、今の自分はこれから先スリップする気がしません。多分、今現在刑務所という誘惑が無い場所で毎日生活しているせいも有ると思います。
 過去の自分は「何とかなる」とそんな思いだけで来たから何度もスリップして同じ事ばかり繰り返し、恥ずかしくて家族にも相談できず、自分一人で抱え込んでいっぱいになって同じ事の繰り返しの日々でした。
 今の自分は、今までやって来た事を客観的に観る事が出来、今後の生き方を考えるだけの気持ちの余裕が出て来ましたが、考えるだけで何も決まりません。ただ一つだけ決まっている事は、病院に通い、カウンセリングを受け、私以外の同病者の人達と同じ悩みを共有し再犯しないように頑張って行くことです。それ以外は、これから考えて行けば良いと思っています。
 先ず、犯罪者として目立つ事が無いようにしたいです。今の自分と過去の自分を比べてみればはっきりと解る事ですが、私の人生も半分終わった頃に病気と解った為か、もう無駄にはしたくない気持ちでいっぱいです。
 過去には人に話すことなど有り得なかった事ですが、このような形で手紙に書く事で自分自身の気持ちが楽になったのは確かです。この治療は本人が依存症と自覚しないと始まらない治療です。これは過去の自分の考えでは絶対に有り得なかった事です。このターニングポイントまでが本当に長い時間がかかりました。この不治の病と死ぬまで仲良く付き合って行く為にも、今後もよく解らない手紙を書きますが本当にによろしくお願いします。
 今回届きました手紙の一文に「(この文通のネット公開が)今まで性犯罪という形で迷惑をかけてきた社会へのこれ以上にない償いとなることでしょう」と書かれていました。この言葉、私は本当に嬉しかったです。今まで幾度も刑務所へ出入りして来た私が出来なかった償いが、こんな形で出来るなんて思いませんでした。被害を受けられた方々には申し訳ありませんが、私自身は一日も早く社会復帰して、何事も起こさない普通の生活をして行きたいです。

 横浜も秋に近ずいていると思います。急な気温の変わり目でカゼ等引かぬようご自愛ください。今回はこの辺で終わりますが、次回はもっと深い内容で書ければ良いと思います。 乱筆乱文にて申し訳ありません。
                      草々
  
 相談員 鈴木達也様   
         平成25年10月3日 O(オー)

Date: 2013/10/07/23:06:36 No.1013

Re:収監者との文通

Oさんへの返書

O(オー様)

前略
 10月3日付のお手紙7日に届き、感動と共に拝読しました。有り難うございます。
 先ずは、AAの基本原理の中の一部を読み代えてご自身の課題とされている事に心からの敬意と拍手を送りたいと思います。念の為、AAの基本原理をOさん版に書き換えてみると、

=君は自分一人の力だけでは再犯を防止する事が出来ない。しかし君は自分自身で再犯を防止しなければならない=

 となるでしょうか。他の誰でもない、Oさんご自身の過去の骨髄にも沁み込むような体験がこの原理への共感を呼び、自らの課題として確信されたのだと思います。それによってOさんは今、間違いなくターニングポイント(=依存症の進行から回復への折り返し点)に立たれています。あとは「回れ右 !」をすることなく前を向いて歩み続けるだけだと言って良いでしょう。その道もお手紙に具体的に書かれていますね。

=(今)一つだけ決まっている事は、(出所後)病院に通いカウンセリングを受け、私以外の同病者の人達と同じ悩みを共有し、再犯しないようにがんばって行く事= ()内/鈴木
 
 
 と書かれています。これは正にターニングポイントに立ってのスタートの号砲と言えるでしょう。つまり、この文面は再犯の無い新しい人生行路に向けての「ヨーイドン !!」の「ドン!!」だと言えるでしょう。この「ドン!!」の音を忘れずに前へ、前への道を歩まれるよう期待しております。

 今回のお手紙は、『過去の自分と今の自分』というテーマで書かれていますが、ターニングポイントの今日に至る経過がよく分かりました。というのも、アルコール依存症の私と多くの共通点があり、共感の多い文面だからです。そしてやはり、アルコール依存症と性依存症は同じ依存症という親から生まれた兄弟みたいな病気なんだなと改めて実感しました。
 Oさんの場合、最初の頃は「見つからなければ、捕まらなければ良いとの思いで犯行を重ねていたそうですが、この思いは全ての「兄弟依存症」に共通しているようですね。アルコールの場合は警察に捕まることはありませんが、それでもアル中の異常な飲み方になって来ると周囲の目が気になり「見つからない様に飲もう」という心理になります。私の場合は特に職場での仕事中にチビリチビリとやっていましたから、見つかれば叱られるのが分かっていたので、見つからない様にかなり気を使って飲んでいました。アルコール依存症業界ではこれを「隠れ酒」と言っています。断酒後に初めてこの言葉を耳にした時には、「あぁ、俺だけじゃなかったんだ、隠れ酒というのは断酒仲間に共通した飲み方だったんだ」と知り、何かホッとするような安心感を覚えたものでした。やはり隠れてでも飲まずにはいられない強い飲酒欲求というのは断酒仲間に共通した病気の為せる業なんですね。
 私、今こうして受刑者の皆さんと文通をしながら、ふと「もしアルコール飲料が非合法、つまり違法飲料だったら、それでも酒を飲んだだろうか?」と思うことがあります。今の私なら「違法だろうと合法だろうと、飲むわけないよ」と簡単に答えられるのですが、飲んでいた頃を思い出して、その頃の自分に尋ねると、「いや、何としてでも警察に見つからないよう、捕まらないように飲むよ」との答えが戻って来ます。そしてそこに、アルコールと性の違いだけを別とした昔のOさんと瓜二つの自分を見る思いがしています。そして、もしアルコールが違法飲料だったら私も何回刑務所に行ったことやらと、両手・両足の指を総動員しても到底足りない回数が頭に浮かんでいます。そして更に言えば「日本がイスラムの国でなくて良かったなぁ」というのも率直な思いです(笑)
 又、お手紙ではOさんの家族にかけた迷惑についても触れられていますが、私の場合も酒による失業、経済破綻によって別れた妻や実家の母には塗炭の苦痛を与えてしまいました。失業したまま酒に溺れ、病院にも行かず、再就職の見通しなど全くの闇の中という私に妻は悩み抜いた末に別離を決意しました。そして、母は「夫婦は別れられるけど親子は別れられない」との思いで、70を過ぎた体に鞭打っての不退転の思いと行動で私を大石での治療に繋げました。元妻と母の当時の思いを察すると今でも、かけた迷惑の大きさ、深さで胸がうずく思いがします。(この時の経過、体験談は又折を見てこの文通で書きたいと思います)
 こうしてOさんのテーマ体験談を読みながら、私も自分の過去を思い起こすことができました。手紙で貴重な機会を作って頂き感謝しています。有り難うございました。
 
 お手紙の最後で、迷惑をかけた社会への文通公開がもつ償いとしての意味に触れて、「償いがこんな形で出来るなんて!!」と、公開による償いへの喜びの言葉が述べられていますが、文通公開の意味を深くご理解頂けたことに私も本当に嬉しく思います。今回頂いたお手紙ももちろんネットで公開させて頂きます。Oさんのターニングポイントまでの経過、気づきがネット掲示板を通して同じ悩みをもつ多くの人々に新たな気づきと希望、勇気を提供することでしょう。Oさんにとってのあのコピー紙のようにです。

 色々ととりとめなく書き連ね長くなりました。今日はこの辺で失礼します。この先、秋も深まり気温も下がりますので、くれぐれもお体をご自愛ください。
      
                      草々
         
         平成25年10月8日(火)
         大石クリニック相談員 鈴木達也
 
 

Date: 2013/10/08/12:17:39 No.1014