Aさんからの手紙

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Aさんからの手紙

大石クリニックHPトップページ
及び 当掲示板No.555 以降Aさんとの文通参照

前略
  鈴木さん、お手紙ありがとうございます。私の方がこんな事になってしまい、本当に言葉がありません。鈴木さんや院長先生の期待を裏切ってしまい、本当に申し訳ありません。

 「あおいくまの部屋」への公開も、私の方は特に異存ありません。私の本名が公開されるのは遠慮しますが・・・(笑) ですので、名前が出なければ、今までと同じようにお願いします。
 
 自分の名前のWEB検索の件ですが、お手数を掛け申し訳ありません。私が○○で通っていたパソコンスクールの先生がネット上で見つけたようです。スクールが終わった今も、その先生方には大変お世話になっております。先生達も私の過去を知っており、何かと私の事を心配してくれていました。今回の事でそういう方達を裏切ってしまったのは私も後悔しております。次こそ後悔のない生活を送りたいと思います。

 まだ、なかなか現実に戻る?ことができず、うつろな生活を送っていますが、今一度自分自身を見つめ直そうと思います。

 今回○○では大変良い人達に出会いました。先生達も出所後は「○○に戻っておいで」と言ってくれています。身元引受人にもなるからと言ってもくれています。出所後の仕事もスクールを手伝って欲しいとも言ってくれています。本当にありがたいことです。

 私の周りには、鈴木さん、院長先生、スクールの先生達と、良い人達がたくさんいます。今度こそ、皆の期待を裏切らず、きちんと生活していきます。

 まず、鈴木さんから頂いた手紙を何度も読み、これからの事を考えて行きます。

 お手紙のお礼とWEB検索の件について筆を執りました。また手紙を書きつづけますので、これからも御指導よろしくお願いします。
 これから暑くなって来ます。お身体の方、どうかご自愛下さい。では失礼します。
                      草々
            平成24年5月22日(火)A

追伸
 またご迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願いします。

 「あおいくまの部屋」も特に異存はないので、今まで通りお願いします。

↓返書

Date: 2012/05/27/17:06:07 No.745

Re:収監者との文通

Aさんへの返書

A様
前略
 5月22日付のお手紙拝読しました。有り難うございます。
 パソコンスクールでは良い先生達に巡り合ったようで良かったですね。私も嬉しく思います。身元引受人を引き受けて下さるとか、スクールに職員として迎えるとか言って下さるのは、先生達が良い方々であるのと同時に、そこにはAさんの人柄が反映されているようにも思います。依存症や犯罪というハンデイを取り戻して余るAさんの人柄があるのだと思います。それだけに刑務所生活を続けることにもったいなさを感じます。あまりにもったいないなと。それだけに、今度こそ依存症、犯罪を卒業して社会復帰して欲しいと心から希求して止みません。

  前回の手紙の直後にYさんから手紙を託されてお送りしましたが、もうお読みになっていると思います。Yさんは手紙の中で、「院長、副院長、鈴木達也さんも、A様が嘘をついたとか、裏切ったとかとは決して思っていないと思います」と書いていますが、全くもってその通りです。前回の受刑中にAさんが書かれた更生を誓う手紙に嘘・偽りはありませんでした。Aさんは本気で更生と社会復帰を自分自身に誓っていました。だからこそ簿記3級・2級の試験に本気で挑戦して見事に合格証を取得したのです。
 では、今回の窃盗事件は何だったのでしょうか? それは更生を誓っていたAさんその人が起こしたのではなく、Aさんの中に不当に居座る盗癖(依存症の一種)という病気がAさんの身体を操って起こさせたものなのです。病気を癌に例えれば、癌患者その人が悪いのではなく、癌細胞が悪いのと同じです。そして、癌患者に治療が必要なようにギャンブルや盗癖などの依存症にも治療が必要です。自分の依存症を最終的に退治できるのは自分本人その人だけであり、自分自身と迷惑を受ける周囲の人々の為に依存症者には自分の病気を治療・退治する責任があると言えるでしょう。治療の柱は同病の仲間との体験談の交流です。そこで、今後の文通の中で可能な範囲で依存症仲間の体験談をお送りしたいと思います。(あっ、そうか、私もその仲間の一人なんですよね・・笑)。そんな体験談に共感できる部分がありましたら手紙にお書き下さい。

 「あおいくまの部屋」への文通公開の継続にご了解を頂き、有り難うございます。WEB検索に名前が載ってしまった件ですが、メールアドレスとの関係でAさんの名前が出てしまったようです。従来通り通常の形で入力する限り、名前がでる事はあり得ませんのでご安心下さい。

 最後になりますが、前回にお送りしたYさんから託された手紙に活字のミス(私のミス)がありましたので、お詫びして修正させて頂きます。

誤:「Yさんの手紙の本文3行目・最後~
       「Y様の事は鈴木達也さんから・・・」
正:     「A様の事は鈴木達也さんから・・・」

 分かり難い文章になってしまったと思います。申し訳ありませんでした。

 これから蒸し暑い梅雨の季節を迎えます。自然から与えられる鬱陶しさ(うっとうしさ)に負けないよう、お身体をご自愛下さい。
また手紙を書きます。
                               草々

平成24年5月28日  
大石クリニック相談員 鈴木達也
↓追伸

Date: 2012/05/27/17:14:24 No.746

Re:収監者との文通

追伸

追伸
 手紙の中で、「今後の文通の中で可能な範囲で依存症仲間の体験談をお送りしたいと思います。(あっ、そうか、私もその仲間の一人なんですよね・・笑)。」と書きました。「善は急げ !!」と言います。先ずは、依存症仲間の一人である私の体験談を書きます。

 酒を飲んでいた最後の5年間、私は毎日毎日、一升近い酒を飲み続けていました。毎朝自転車で30分の出勤コースの街頭にある自動販売機でワンカップ2本を買い、午前中、専用の一人部屋での仕事時間中にそれを飲み切っていました。社内食堂での昼食後、散歩を装って外出して、またワンカップ2本を仕入れて、それを5時の退社時間までに飲み干していました。帰宅途中の自販機でワンカップ1本を立ち飲みした上、夜の部の酒として酒屋で紙パック入りの5合酒を買って帰宅して、就寝までにその大半を身体に流し込んでいました。
 下線部の数字を合計すると、ほぼ一升に近い酒になるわけです。酒代は毎月・約6万円でした。何とも勿体ない金額だったと今にして思います。否々それより、5年間に亘り一日も休まずそんな飲み方をして、「よく身体がもったな!!」と今にして、背筋を凍らせながら感じ入っています。
 職場の一人部屋での「隠れ酒」だったのですが、「酒臭」は職場仲間や上司に嘘をつけませんでした。そして、とうとう来るべき日が来ました。平成6年8月4日の朝の事でした。上司が私の一人部屋に入って来て、「鈴木君、君は今日から向こうの流れ作業に入れ!!」との配置転換命令でした。10人のチームでのベルトコンベア仕事に投入されては、もう隠れ酒はできなくなったわけです。そこで一日は何とか堪えて、飲まずに一日を過ごしたのですが、その時の私の心境は「飲めない職場で仕事なんか出来るか!!」という、今から思うと、何とも逆立ちした思いでした。そして・・・何と、その翌日に8年勤めた職場に辞表を出してしまったのです。この程度の職場、他にもいくらでもあるわ!!との思いでした。仕事より、生活より、家族より、そして命と健康より・・・何よりかにより酒が第一という感覚になっていたわけです。「全ての思考、行動は先ず飲酒から始まる」という精神構造=依存症という病気にかかっていたわけです。      
 そんな私に専門治療に繋がる切っ掛けを作ってくれたのは、私に別居を宣告した妻と、専門病院を探し半強制的に私をそこに引っ張って行った実家の母でした。そして、再生と回復へのエネルギーを与えてくれたのは、専門病院の医師、スタッフであり、またアルコール自助グループの仲間達でした。その力・援助が無かったなら、今の私は、あの世の地獄の○丁目×番地で苦しみもがく羽目になっていたことだろうとつくづく思いつつ、それから救ってくれた多くの人々に心底から感謝しています。
 
 今にして思います:依存症者が依存対象(酒・薬物・ギャンブル・・)に手を出す時の視野の狭さを!! 私の場合、全ての思考・行動の前に先ずは酒しか目の前にありませんでした。そして、その地獄から這い出す為の自力を病気によって喪失していたことを。
 
 追伸の方が長くなりそうなので、この辺で止めます。読んで頂き有り難うございました。
 
 

Date: 2012/05/27/17:57:00 No.750